ボストン旅行記


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ボストン旅行記・その一、その二、最終回、
小濱洋央、『頚損』、
No.57 (1994) p.29-31; No.58 (1994) p.48-51; No.59 (1994) p.26-29、
全国頸髄損傷者連絡会。
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                    ボストン旅行記・その1
                    
                 小濱 洋央 (Kohama Akihisa)

 1993年7月23日(金)から8月3日(火)までアメリカ合
衆国マサチューセッツ州のボストンとそのすぐ隣にあるニューハン
プシャー州のティルトンに行ってきました。ボストンはアメリカ大
陸の東海岸のだいぶ北の方で、ニューヨークの300キロほど北東
にあたります。ティルトンは、そこからさらに北へバスで2時間ほ
ど行った所にある山中の小さな町です。
  そのティルトンで物理の会議が開かれることになり、それに参加
するのがこの旅行の目的です。1991年の夏には、物理の研究の
ために2ヶ月ほどカリフォルニアにいたことがあります。今回が二
度目の国外逃亡です。この旅行でしてきた経験を3回に分けて報告
してみたいと思います。
  今回は、ボストンまでの飛行機の中での様子や、宿泊したホテル
について書こうと思います。

 私はいわゆる“けいそん”で、受傷部位はC5・6です。移動に
は車いすを利用しており、日常生活のほとんどに介助が必要です。
 同行したのは、大学の研究室の先輩であるSさんとTさん、そし
て妻の真実子です。

・日程
7月23日(金):夕方に出発。時差のおかげで同じ日の夜にボストン着。
  24日(土):ボストン市内観光。お散歩と水族館を見物。
  25日(日):午後、観光バスでティルトンへ。約2時間の行程。
  26日(月):ゴルドン会議開始。物理漬けの日々。
   ↓ ↓ ↓     ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 
  30日(金):会議終了。昼過ぎに観光バスでボストンに戻る。
  31日(土):ボストン市内観光。ハーバード大学見物。買物。
8月 1日(日):ボストン美術館見学。
   2日(月):朝、ボストンを発つ。
   3日(火):午後、成田に到着。

・目的
 7月26日(月)から30日(金)までニューハンプシャー州の
ティルトンでゴルドン会議が開かれた。この会議に参加するのが今
回の渡米の主目的である。もちろんしっかりと観光もしてこなくて
はならない。「原子核物理学における量子色力学」というのがこの
会議の副題だ。
 私は大学で研究員として原子核物理学の理論的研究をしている。
会議では私がいま研究している“原子核の透明度”の研究発表も含
まれている。最新の実験結果や世界最先端の理論的研究の発表が聞
けるということで、参加を決意した。せっかく行くのだから自分の
研究も宣伝してこようと、もぞう紙に研究内容をまとめて持参した。

・空港への道
 私たちの住まいは文京区のすみっこで、上野の不忍池のすぐそば
にある。そのため、成田空港に出るには京成電鉄が便利だ。ただし、
京成スカイライナーは車椅子をまったく考慮していないので、普通
の車両の特急を使う。この方法でもかかる時間はスカイライナーと
ほとんど変わらないが、値段は半分程度である。少しだけ止まる駅
が増えるだけのことだ。たとえスカイライナーが使えても、この行
き方の方がお得なのである。
 成田空港内は、駅も含めて車椅子での移動に不自由はない。スロ
ープもエレベーターも整備されているので、ここまで来てしまえば
もう安心だ。

・飛行機
 ユナイテッド航空を利用した。この航空会社は、身体に障害のあ
る人に対する配慮が良いという評判である。2年前にカリフォルニ
アに行ったときもユナイテッド航空を使ったが、対応は良かったと
記憶している。今回も乗り移りの手伝いや、空港間の連絡もよくや
ってくれた。日本の航空会社は論外だ(著者注:97年現在、一部
の航空会社に改善の兆しは見える)。
 航空券は旅行代理店で購入した。安売り屋さんである。言うまで
もなく、座席はエコノミークラスである。この場合、基本的には席
の指定はできない。けれどもこちらの事情を話したら、乗り移りに
便利な通路側の座席を押さえてくれた。
 ボストンまでの直行便はない。シカゴで乗り換えることになる。
シカゴまでが約12時間、乗り換えにかかる時間を含めてボストン
までは約16時間かかった。結構きつい。ボストンでの楽しい日々
を想像して、じっと我慢するしかない。
 座席にはローホークッションを敷いて座った。ひたすら座り続け
なので、じょく創が心配の種である。到着後、ホテルですぐ横にな
ってチェックしたところ、どうやら大丈夫であった。ローホークッ
ションの威力であろう。
 機内では座り続けの上に、食事はきちんと定期的に出てくる。し
かも、到着地の時間に合わせて食べるので、地上にいるより一回く
らいよけいに食べる勘定だ。洋食なのでカロリーは高い。これでは
身体にいいはずはない。食べ終わると、今度はぼーっとして目の前
の映画を眺める。映画が終わってしまえばあとは眠るだけだ。これ
ではまさにブロイラーである。    

・ホテル
 会議の前後は空港に近いヒルトン・ホテルに宿泊した。個人で泊
まるには高級な宿だ。そんな所に泊まれたのも、ゴルドン会議参加
者へのは割引があったからこそである。こんなことは滅多にない機
会だ。
  ボストンのローガン空港からは、シャトルバスでホテルに向かっ
た。空港からホテルに電話をすると、リフト付きのシャトルが迎え
に来てくれた。運転手さんはあまり慣れていないようで、車椅子の
固定がいい加減で怖い思いをした。
 部屋は身障者用のようだった。でも、トイレに手すりが付いてい
るくらいで、私にはほとんど便利ではなかったのである。洗面台も
高すぎで、顔が洗えなかった。せっかくビオレを持って行ったのに、
使えずじまいだ。ベッドの高さなどは特に問題なく、数日の宿泊な
らまあ大丈夫である。

・気候
 ニュースでは渡米直前に東海岸は猛暑で死者が出たなどと伝えて
いたので、実はびくびくしながら出かけたのである。幸いボストン
は暑くなく、長袖でも平気なくらいの気温であった。ティルトンに
到っては会議前半の数日は寒いくらいで、それまでの心配が嘘のよ
うであった。結局、旅行期間中は全体的に過ごしやすい気候であっ
た。欲を言えば、西海岸よりかなり湿度が高いのと、くるくる変わ
る天気が不満であった。                        (続く・・・)
                            (1993年8月 記)
写真1:ヒルトンホテルから見たボストンの中心街。
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                    ボストン旅行記・その2

                 小濱 洋央 (Kohama Akihisa)

 1993年7月23日(金)から8月3日(火)までアメリカ合
衆国マサチューセッツ州のボストンとそのすぐ隣にあるニューハン
プシャー州のティルトンに行ってきました。そこで開催された物理
の会議に参加するのがこの旅行の目的です。
  この旅行でしてきた経験の報告を、3回に分けて行なっています。
今回はその2回目で、観光と移動の話題を中心にまとめます。

・観光
 ボストンはアメリカで一番古い街らしい。ヨーロッパから新大陸
に人々が移り住んできたその窓口なのだ。
 長旅の疲れをものともせず、到着の翌日には観光に街へ繰り出し
た。主にダウンタウン周辺を見てまわった。古い教会がいくつかあ
る。アメリカにしては古い建物が多く、あちこちにヨーロッパ風の
建物が見えかくれする。その多くの建物に“アメリカで最初の”と
いう枕詞が付いている。観光には楽しい街だ。
 ボストンコモンという公園はアメリカで一番古い公園だそうだ。
とてもよく整備されたきれいな公園だ。やや傾斜のある遊歩道をみ
んなでぶらぶらとして過ごした。移動の際はほとんど、力持ちのT
さんに車椅子を押してもらっている。
 古い街のため、歩道が日本のように狭いのには閉口した。横断歩
道に出るときの歩道の切れ込みも、狭くて急である。比較的新しい
街であるカリフォルニアと比較して大きな違いだ。車椅子では移動
しにくい街のようだ。
 港近くにあるニューイングランド水族館にも行ってみた。ここは
設備がしっかりしていて、車椅子でも問題なく回れた。円筒状の大
きな水槽の中をまぐろや海がめがぐるぐる泳いでいたのが壮観であ
った。
 観光の最終日には念願のボストン美術館へ行った。ここもエレベ
ーターとスロープが完備していて、移動にはまったく問題がない。
世界四大美術館の一つと言われるだけあって、絵画の質と数のどち
らもすごかった。浮世絵などの日本美術と印象派が“売り物”で、
両方ともしっかりと見てきた。モネの絵は遠くから見るものだとい
うのがよく分かった。美術館では、ゴルドン会議に参加していた何
人かの人に会った。みんな考えることはそう変わらないみたいだ。

・時差ぼけ
 ボストンに着いたのは夜である。到着してからすぐに寝てしまえ
ばよかったので、意外に楽だった。時刻はボストンが日本より13
時間遅れており、昼夜が完全に逆転している。もっと辛いかと思っ
ていたのだが、着いた翌日から無謀にも観光に動き出したので、適
応が早かったのだと思う。時差ぼけを治すには、きつくても現地時
間に合わせて生活するのが良いそうだ。そして、日中はできるだけ
日に当たると良いと聞いた。私たちはまさにこれに従ったわけだ。
おかげで、会議が始まる頃には現地時間にすっかり身体が馴染んで
いたのである。
 時差ぼけは、むしろ帰国してからの方が辛かった。向こうの朝に
当たるこちらの夜8時から9時頃に、突如として眠気が襲ってくる
のだ。これが半端な睡魔ではない。横になってテレビを見ていると
意識を失なったり、本を読んでいるうちに夢を見ていたりする。あ
り地獄に吸い込まれる感じであった。

・移動手段
 観光のための移動には、おもにタクシーを使った。初日は勝手が
分からずに、ホテルにきた普通のタクシーに乗ってしまったのであ
る。アメリカの車は図体は大きいくせに、扉の開き方は日本車より
少ない。乗り込むときには妻のピボットトランスファーで、なんと
かうまくいった。降りるときは、そううまくはいかなかった。
 「今度は顔に気を付けてよ。」
乗るときには、顔が平たくなるほど窓ガラスに押し付けられてしま
った。降りるときは、それは避けたい。なにしろ、ピボットトラン
スファーで立ち上がると、ちょうど顔の位置と窓ガラスの位置が一
致してしまうのだ。扉があまり開かないのと、窓ガラスにご丁寧に
枠が付いているのがその理由だ。
 妻は、注意力が私の顔と窓ガラスにいってしまったので、私の体
重とうまくバランスをとることができなかった。その結果、身体が
立ち上がらずに私はくずれるように地面に落ちてしまった。身体が
うまく回らなかったのだ。
 下まで落ちたのは、初めての経験だ。お尻の下はアスファルトだ。
 「どうしよう。」
さすがに一瞬慌てそうになった。こんな時こそ落ち着かなくては。
幸い人手はたくさんある。Tさんが私の上半身、妻が私の足を持っ
て、車椅子へと私を引き上げることができた。道路がたいして汚れ
ていなかったのが、不幸中の幸いだ。
 タクシー会社は、実は車椅子ごと乗れる車を何台も持っているそ
うだ。電話をすると、すぐにそれを回してくれるのだ。地面に無惨
に転がった私を哀れに思ったタクシーの運転手さんが教えてくれた。
 水族館からホテルに帰るときに、そのタクシーを使った。料金は
普通のタクシーと一緒である。予約なしに車椅子用のタクシーが呼
べるとは驚きであった。やって来たのは低床車で、スロープをつけ
るだけで車椅子ごと車内に入れる。原理的にはそのはずである。こ
ともあろうにその運転手は、車内の椅子のたたみ方が分からなかっ
た。そのため、車の中には車椅子で乗り入れるだけの空間が作れず、
やはり私は車内の椅子に乗り移らねばならなかったのである。間口
が広かったので、普通のタクシーよりははるかに楽なトランスファ
ーであった。
 民間のタクシー会社は、車椅子で利用できるタクシーを一定の台
数を揃えてはいる。多分、法律で決まっているのだろう。ただ少な
くとも、それに見合うだけの教育を運転手にしているとは言えなそ
うだ。
 その点で、ボストン美術館に行くときに頼んだタクシーは素晴ら
しかった。マサチューセッツ州で運営しているらしい。日本からボ
ストンのCILに問い合わせたときに教えてくれたものだ。時間に
正確なのはもちろんだが、車椅子の扱いがよく分かっている。車内
での車椅子の固定がしっかりしていて、車がカーブを切っても車椅
子がぶれることはなかった。これはボストンでそれまでに利用した
タクシーでは考えられないことである。また、海外からの旅行者に
州の制度を利用させてくれるところは、アメリカならではの懐の深
さだ。
 なかなか気のいい、口ひげの似合う運転手さんである。帰りがけ、
美術館からなかなか出てこないSさんとTさんを待っている間に、
 「どこから来たんだい?」
などと話しかけてきた。私が日本から会議のために来ていること、
そして明日には帰らなくてはならないことを告げた。運転手さんは
さらに、
 「10日しかいないのか。それでどうだい、ボストンは気に入っ
たかい。」
と続けた。
 「もちろんですよ。いい街ですね。ずいぶんあちこち見て楽しみ
ましたよ。」
と答える私に、
 「そうか、そいつは良かった。」
と優しそうな目をさらに優しそうにしてうなずく運転手さんであっ
た。
 ホテルに着いて、料金を払う時になった。州の運営だから、民間
のタクシー会社よりはだいぶ安いということが書類に書いてあった
はずである。
 「料金なんですが。」
尋ねる私に、
 「料金? いらない、いらない。外国からのお客さんからお金は
取れないよ。マサチューセッツ州からの贈物と思ってとっといてく
れ。」
ときた。なかなか言える台詞ではない。
 「本当ですか? 有難うございます。」
こんな時は、実に素直な私だ。いい思い出が一つ増えたのである。
 ハーバード大学からダウンタウンに出るときには、地下鉄を使っ
てみた。ロスアンジェルスに鉄道らしきものはないに等しいので、
これがアメリカで乗る初めての電車である。エレベーターの設置状
況は、路線によってかなりばらつきがある。従って、車椅子で利用
するときにはそれなりの下調べが必要になる。幸運にもハーバード
とダウンタウンの両方の駅にエレベーターが付いており、安心して
利用できた。少々問題なのは、エレベーターが必ずしも分かりやす
いところにあるとは限らないことだ。
 地下鉄の駅や車内は、治安が悪いこともあるようなので注意が必
要だ。ハーバードの駅は照明も暗く、慣れるまでは少し怖い感じだ
った。落ち着いて周囲を見回したところ、暗いだけで荒れた感じも
ないのでほっとした。治安の悪いところは、ゴミがあちこちに散ら
かっていたり、すさんだ感じがするものである。料金は一度の乗車
で85セントと安い。行き先を選べば、利用価値は高そうだ。車椅
子利用者への割引もあるのだが、面倒だったので利用しなかった。
                                              (続く・・・)
                            (1993年8月 記)
写真2:ボストン美術館に行くときのタクシー。
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                    ボストン旅行記・最終回

                 小濱 洋央 (Kohama Akihisa)

 1993年7月23日(金)から8月3日(火)までアメリカ合
衆国マサチューセッツ州のボストンとそのすぐ隣にあるニューハン
プシャー州のティルトンに行ってきました。そこで開催された物理
の会議に参加するのがこの旅行の目的です。
 最終回の今回は、会議と食事を中心に書いていきます。

・会議
 期間中は、ティルトンの地元の高校の寮に寝泊まりした。会議は
高校の講堂で行われ、まさに合宿だ。高校は山の中にあるので周り
に遊び場もなく、物理漬けの日々が続いた。月曜日から毎日朝9時
から12時半までと、夜7時半から10時までが会議の時間だ。夜
が遅くて朝が早いので、身体にとてもこたえた。昼食後から夕食ま
では完全な自由時間で、スポーツをする人や物理の議論をする人な
ど様々である。
 水曜日の夕方にはポスターセッションがあった。会場には、講堂
の地下にある卓球場が用意されている。そこの壁に各自が持参した
もぞう紙を貼るのだ。もぞう紙にはそれぞれの研究内容が書いてあ
る。会議で話をさせてもらえない若い人が、見に来てくれた会議の
参加者に自分の研究の説明をするのだ。高校の文化祭のノリである。
私も最新の研究成果の宣伝をしてきたのであった。
 
・食事
 旅行に行くと、食事は大きな楽しみだ。これがアメリカでは必ず
しも成り立たない。好き嫌いのないのが私の自慢である。しかし、
それが日本の中だけでの話だと分かったのは、2年前にカリフォル
ニアで生活してからのことだ。アメリカでの食事は、一般的にしつ
こい。こってりしていて脂っぽいのだ。たとえおいしいと思ってい
ても、3日で飽きてきて1週間で胃袋が受けつけなくなってしまう。
これは好き嫌いだけでは乗り越えられない問題みたいだ。アメリカ
では普通に食事をしていると、しつこいものばかり食べることにな
ってしまう。特に今回は外食ばかりだったので、その点がきつかっ
た。
 こういう時は、できるだけ素材に近い状態のものを食べればよい
のだが、そういうものはなかなかみつからない。ロブスターはそれ
にうってつけの数少ない食べ物なのだ。
 ボストンの名物は、ロブスターとクラムチャウダーである。ロブ
スターは、ざりがにをばかでかくしたものを想像して頂けばいい。
そのロブスターをこの滞在中に二度も食べた。丸ごと蒸してもらう
のが、“通”の食べ方だ。変に調理してもらうよりずっとおいしい。
 一度目は水族館の帰りである。ロブスターと一緒に、クラムチャ
ウダーも頼んだ。その名の通り、あさりのクリームシチューである。
確かにおいしい。でも、多分ボストン以外の所で飲んでも同じ味だろ
う。何でこれが名物なのかよく分からない。
 クラムチャウダーを食べ終えてしばらくすると、真っ赤になった
ロブスターが丸ごとお皿に乗って出てきた。実に迫力がある。
 「来ましたねえ。」
みんなの目付きが変った。
 殻を取らないと食べられないのが大きな問題だ。私は1人では食
べられない。みんなも自分のことで精一杯で、私のことまで気にし
てはいられないようである。会話が消えた。頼みの妻も
 「ちょっと待っててね。」
と言ったきり、自分のロブスターにかかりっきりだ。私は仕方なく、
山のようにある付け合せのフライドポテトを食べて、妻の“お仕事”
が一段落つくまで待つことにした。
 そうは言っても、黙々とポテトばかり食べていてもつまらない。
それにポテトでお腹がいっぱいになってしまっては、ロブスターさ
んに申し訳ない。そこで、妻の殻取りに口を出して、少しでも早く
食べさせてしまう作戦に出た。
 「そこは、殻割のはさみを使ったら。」
 「そうそう、その関節でねじっちゃえばいいんじゃない?」
などと口を出していた。これが結構役にたったようだ。解体作業が
軌道に乗って、おこぼれにもありついた。妻が尻尾と右のはさみを
平らげたところで、私の番になった。
 一番身が大きいのは、やはり尻尾である。まずそこから攻めるこ
とにした。自分の時の経験を生かし、妻は手つき良く身をかたまり
でするりと取り出した。これが学習効果である。私の装具のスプー
ンにその身を乗せると、妻は自分のロブスターに残る左のはさみへ
と作業を進めた。
 ずしりとした重さが装具から腕へと伝わる。感動的な一瞬である。
この一口には入りきれない大きさにしびれてしまう。待っただけあ
って味も格別で、歯ごたえも申し分ない。癖になるおいしさなのだ。
 尻尾と両方のはさみが、主に食べるところである。頭に当たる部
分の殻をはがすと、かに味噌のようなものが出て来る。アメリカの
人は食べないらしいが、これも美味だ。好みに応じて細い足をちゅ
ーちゅーと吸う人もいるが、私の気分はすでに完結していたので、
二本だけ吸ってやめた。
 名物を早々に食べてしまったので、もういつ帰ってもいい気分に
なってしまった。ロブスターとの再会は、会議の最後の夕食の時だ。
一度目と比べてやや小さめではあったが、満喫させてもらった。
 日本では“レッドロブスター”というそのものずばりの名前の店
で食べられる。チェーン店なのであちこちにあるようだが、私はま
だ行ったことはない。
 会議の期間の食事は、昼と夜にデザートがついた。アイスクリー
ムやケーキといったひたすら甘いものである。量の多さもおそるべ
きものだが、甘さも半端ではない。甘党のこの私でも、ケーキを食
べるのを途中でやめてしまった。
 ダウンタウンに行った帰りに中華街へ行った。中華街はアメリカ
の大都市にはたいていあるらしい。中華街以外にも中華料理店はあ
ちこちにあり、中華料理は口にしやすい食べ物だと思う。“困った
ときの中華料理”と言うほど、アメリカでの食事に困ったときには
中華料理が一番だ。日本人の口にも身体にも合っているのだろう。
特に魚介類を中心としたものは消化もよく、疲れた胃袋には最適で
ある。
 意外にも街の雰囲気はあまりよくない。商店街のはずれにあり、
さびれた感じでいかにも治安が悪そうだ。通りに入っていくのに、
ずいぶんと勇気がいった。人数が多かったので恐る恐る行ってみた
が、妻と2人であれば引き返してしまったはずだ。
 苦労して行った甲斐があり、料理は大変おいしかった。全体にう
す味で野菜も多くて、久しぶりに食事らしい食事を楽しめた気がす
る。大きな煮魚が出てきたのには感動した。アメリカの人はあまり
魚を食べないみたいで、おいしい魚料理と出会うのは街で好みの女
性を見つけるより難しいはずだ。

             ま と め

 今回の旅行で、ボストンではタクシーや地下鉄が意外に便利に使
えることが分かったのは大きな収穫です。ADAの成立も影響があ
るのかもしれません。ああいう法律を作ってしまうのは、アメリカ
のすごいところだと思います。法律があるということは、それだけ
で日本での善意に任せた福祉に比べて大きく評価できます。
 日本にいると、時々アメリカの福祉が進んでいるように見えるこ
とがあります。行ったことはありませんが、バークレー辺りは実際
に進んでいるのかもしれません。気を付けなくてはならないのは、
だからと言ってアメリカ全体の福祉が日本より進んでいるとは言い
切れないことです。法律で決められていない部分での手抜きをしば
しば目にします。配慮が形式的な場合がずいぶんあるということで
す。車椅子用のタクシーが呼べるのは便利なのですが、運転手が車
椅子や車椅子用の装置に慣れているかと言えば別問題です。ボスト
ンの市内でも、車椅子の人と出会ったのは数回です。日本にいると
きより少しは多いかなという程度です。アメリカの社会は、バーク
レー以外は車椅子の人にとってあまり生活しやすくはない気がしま
す。
 この旅行は、一緒に行動する人数が多かったので、予想外の展開
にも対応できて助かりました。持つべきものは友だちです。おかげ
で初のアメリカ東海岸旅行も成功に終わりました。
 海外に出ると、日本では得られない刺激があります。多少不便で
も、それを補って余るくらいの貴重な経験ができるのです。異文化
に触れるのは、それだけで楽しいことです。
 今度はぜひ、ヨーロッパに行ってみたいと思っています。(完)
                            (1993年8月 記)
写真3:高校の寮の入口にて。スロープができたばかりだった。

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