寄稿・講演
雑誌への寄稿や講演リストなど
原子核物理学研究以外の活動を紹介してあります。
2000年 11月 3日更新
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寄稿リスト
2000/11/03 更新
■■■ 寄 稿 ■■■
1. 四肢まひ者のコンピュータ利用・現状と展望、
小濱洋央、第四回TRONイネーブルウェアシンポジウム '93 予稿集、
社団法人トロン協会 (1993) p.8-13
2. 車いすごと助手席に乗れる車、
小濱洋央、SSKA頚損、全国頚髄損傷者連絡会、No.56 (1993) p.19-20
1993年12月 9日発行
3. ボストン旅行記・その一、その二、最終回、
小濱洋央、SSKA頚損、全国頚髄損傷者連絡会、No.57 (1994) p.29-31
1994年 2月26日発行
小濱洋央、SSKA頚損、全国頚髄損傷者連絡会、No.58 (1994) p.48-51
1994年 4月26日発行
小濱洋央、SSKA頚損、全国頚髄損傷者連絡会、No.59 (1994) p.26-29
1994年 8月26日発行
4. 四肢まひ者のコンピュータ利用・現状と展望、
小濱洋央、イネーブルウェアのページ、
TRONWARE、VOL.28、Aug.10 (1994) p.85-88
パーソナルメディア株式会社;
TRONイネーブルウェアリポート,Vol.3, p.55-58. (1995) Feb.
TRONイネーブルウェア研究会編集、
TRONイネーブルウェア研究会事務局発行
5. スタジオ“I ”との日々、
小濱洋央、日本福祉新聞、1994年10月 2日発行、p.15
日本福祉新聞社
6. 一本指入力の基本仕様とその比較、BTRON vs. Macintosh vs. MS-DOS、
小濱洋央、イネーブルウェアのページ、
TRONWARE、VOL.32、Apr.10 (1995) p.90-95
パーソナルメディア株式会社
7. 日本物理学会の対応、
小濱洋央、はがき通信〜四肢麻痺の情報交換〜、
No.37、1996年 1月25日発行、P.6
発行: 向坊弘道、編集: 松井和子・東京都神経科学総合研究所
8. 寒がりと真冬の新幹線、
小濱洋央、はがき通信〜四肢麻痺の情報交換〜、
No.38、1996年 3月25日発行、P.8-9
発行: 向坊弘道、編集: 松井和子・東京都神経科学総合研究所
9. 飛行機の予約、
小濱洋央、はがき通信〜四肢麻痺の情報交換〜、
No.39、1996年 5月25日発行、P.8-9
編集委員: 松井和子、発行委員: 向坊弘道、広報委員: 麸沢孝
10. 第一回・ゲートボール大会、バックナンバー特集
小濱洋央、SSKA頚損「葉話友」、増刊号 (1996) p.28-29
神奈川頚髄損傷者連絡会 20 周年記念誌、
1996年 5月18日発行、神奈川頚髄損傷者連絡会、
小濱洋央、SSKA頚損「葉話友」、Vol.19 (1984?) p.??-??
1984年 5月 7日発行、神奈川頚髄損傷者連絡会、
11. ノートの簡易複写法、
小濱洋央、はがき通信〜四肢麻痺の情報交換〜、
No.42、1996年 11月25日発行、P.6
編集委員: 松井和子、発行委員: 向坊弘道、広報委員: 麸沢孝
発行・編集: 向坊弘道
12. 身体障害を持つ学生に対する大学におけるテクノロジーによる支援、
−−カリフォルニア州立大学ノースリッジ校での取り組み−−、
小濱洋央、イネーブルウェアのページ、
TRONWARE、VOL.42、Dec.10 (1996) p.92-94
パーソナルメディア株式会社;
小濱洋央、第四回TRONイネーブルウェアシンポジウム '96 予稿集、
社団法人トロン協会 (1996) p.5-7.
13. 車いすで、風薫るアメリカ東海岸、小濱洋央、
その一、ヴァージニアで〈すのこ〉と再会、
日本(ニッポン)全国[特派員]報告・特別寄稿・その一、
WE'LL、Summer、Vol.7、(1997) p.93-94. 1997年 6月 30日発行;
その二、ホワイトハウス表敬訪問、
日本(ニッポン)全国[特派員]報告・特別寄稿・その二、
WE'LL、Autumn、Vol.8、(1997) p.73-74. 1997年 9月 30日発行、
株式会社アテックインターナショナル。
15. 横山さんの思い出、小濱洋央、
『おらが学寮で見せたいものは』横山十三雄追悼文集、p.171、
編集・発行:横山十三雄さん追悼行事実行委員会、
1997年 9月 27日発行
16. ともに怒(ルビ:いか)る、小濱洋央、
エッセイ・バリアフリーへ、p.8-9、
『あけぼの』・特集:「バリアのない心 −だれもがともに生きる社会を−」
●書籍のご案内『車いすでカリフォルニア』、p.44、
1998年 8月号、平成10年 8月 1日発行、第43巻 8号(毎月一回一日発行)
発行人:聖パウロ女子修道会(代表者:田尻律子)
17. 寮の空気、小濱洋央、
東京大学向ヶ岡学寮創立五十周年記念・寮史、寄稿編、p.85-86、
編集・発行:五十周年記念式典実行委員会、1999年11月20日発行
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講演リスト
【講演】
1. 四肢まひ者のコンピュータ利用・現状と展望、
小濱洋央、第四回TRONイネーブルウェアシンポジウム'93 (TEPS'93)、
社団法人トロン協会、1993年12月 4日(土)、
杏雲ビル4F、御茶ノ水。
2. 身体障害を持つ学生に対する大学でのコンピュータ利用支援、
〜カリフォルニア州立大学ノースリッジ校(CSUN) での取り組み〜
小濱洋央、第四回TRONイネーブルウェア研究会例会、
社団法人トロン協会、1994年 9月10日(土)、
世田谷区立砧区民会館3F、世田谷区成城。
3. 身体障害を持つ学生に対する大学におけるテクノロジーによる支援、
−−カリフォルニア州立大学ノースリッジ校での取り組み−−、
小濱洋央、第七回TRONイネーブルウェアシンポジウム'96 (TEPS'96)、
社団法人トロン協会、1996年12月 7日(土)、
NTTデータ通信株式会社・豊洲センタービル、東京都江東区豊洲。
4. ミニ講演『教会こそバリアフリー』
小濱洋央、1998年 2月15日(日)11時15分〜45分、
カトリック多摩教会(〒206多摩市聖ヶ丘1-30-2 Tel: 0423-74-8668)
5. 講演会『はじめてのアメリカ熱血バリバリ生活』
−− 著書『車いすでカリフォルニア』を語る −−
小濱洋央、1998年 10月17日(土)13時30分〜15時30分、
京都頚損連絡会・学習会
ハートピア京都(京都府立総合社会福祉会館)四階第五会議室
(〒604 京都市中京区竹屋町通烏丸東入る清水町 375
Tel: 075-222-1777)
6. 特別講義『闘う甘党車いす』
○○ 利用者からみた社会福祉サービスの現状と課題 ○○
小濱洋央、1999年 1月
慈恵看護専門学校(〒105-8461 港区西新橋三丁目 25-8)高木2号館
7. 講演『地域で普通に暮らすこと』
○○ 利用者からみた社会福祉サービスの現状と課題 ○○
小濱洋央、1999年 1月23日(土)10:45-12:00、
淑徳短期大学・淑徳ホール(淑徳短期大学10号館)103番教室
(〒174 板橋区前野町 6-32-1 Tel: 3966-7631)
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『はがき通信』原稿
『はがき通信』
〜四肢マヒ者の情報交換誌〜
このページでは、これまでに『はがき通信』に掲載された私の原稿を公開し
ています。文献等に引用されるときには、著者名、号、ページ等を記してくだ
さい。
また、『はがき通信』の詳細については、以下のホームページをご覧くださ
い。
1998年 11月 9日
小濱 洋央
もくじ
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### 日本物理学会の対応 ### No.37、1996年 1月25日発行、P.6.
東京都文京区 小濱 洋央 (Kohama Akihisa)
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はじめてお便り致します。「はがき通信」は、私と同じ高位頚髄損傷者の各
地での日常生活を伝えてくれるメディアとして、興味深く拝見しています。
私は、約十五年前に頚髄五番を完全損傷しました。それ以来、日常生活の全
般にわたって介助を受けながら生活しています。普段の移動には電動車いすを
使い、あちこちを走り回っております。
さて、少し古い話ですが、私の嬉しかった経験の話をします。
私の仕事は大学での物理の研究で、原子核の理論を専門にしています。年二
回は国内のあちこちの大学へ行き、学会講演をするのも仕事のうちです。その
際には、妻が介助者として同行してくれます。また、そういった旅行には、手
動車いすを使うことにしています。
地方の大学に行くこともしばしばで、車いす用の設備の整ったところも少な
くありません。しかし、その位置がわかりにくいことが多く、不便な思いをし
てきました。
そこで、設備の表示に関する事態の改善を、日本物理学会に対して直接にお
願いすることにしました。毎回の学会では、講演のプログラムが配布されます。
そこに一緒に載せてある大学構内の地図に、車いす用設備の位置を明示してく
れるように文書でお願いしたのです。それまでに実際にあった問題点と、それ
に対するこちらの希望する配慮を、できるだけ具体的に書いておきました。
学会の対応は非常に迅速で、すぐに事務局から電話をもらい、私の要望の確
認をしてもらうことができました。そして、その次の学会からは、車いす利用
者に対する情報がプログラムに載せられることとなりました。どこまで私の希
望に応じてもらえるか大きな期待はしていなかったのですが、車いすトイレの
位置やスロープの設置場所が想像以上にきちんと記入されていて驚いてしまい
ました。さらに驚いたのは、私の行かない物性関係の分科会のプログラムにも、
同様の情報が掲載されるようになったことです。学会事務局及び関係者の方々
には、心から感謝しています。
この対応が始まってから、すでに数回の学会がありました。地図の作成は開
催する大学側で行っているようなので、その学会ごとにできの善し悪しはあり
ます。しかし、学会参加者に車いす利用者がいるということは、必ず認識して
もらっているようです。また、その後も対応に問題があったときには、改善の
要望を出しています。
ご存じの方も多いとは思いますが、実はこういった表示の不備は、大学に限
りません。日本国内では、たとえ公共施設であっても、せっかくの設備をわざ
わざ隠しているのかと感じることも一度や二度ではないのです。
周囲への働きかけは、必ずしもうまくいくとは限りません。でも、不便なこ
とがあったら、とりあえずこちらの要望を伝えてみるというのも必要です。ど
う対応してよいかわからずに、何もしていないということも多いように思える
からです。今回の件は、言ってみたら意外とうまくいったいい例だと考えてい
ます。
[1995年12月・記]
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### 寒がりと真冬の新幹線 ### No.38、1996年 3月25日発行、P.8-9.
(注1) 東京都文京区 小濱 洋央 (Kohama Akihisa)
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1月25日に、五日間の京都旅行から帰ってきました。京都大学で行われた
物理の研究会に参加するのが目的で、出張のようなものです。いつもの旅行と
同様に、手動車いすを使い、介助者として妻に同行してもらいました。
この研究会は、例年はもう少し早い時期に開かれていましたが、今回はとて
も寒い時期になってしまいました。初の真冬の旅行でしたので、新幹線につい
て少し念入りに調べました。車内の気温が心配だったからです。
新幹線には、車いす用の“座席”として、“個室”と“オープン席”が用意
されています。オープン席は、車いすに乗ったままいられる場所として、通路
側の椅子をはずしてある所です。客席のドアから近いところに、二ヶ所ありま
す。
私たちは、最近はおもに車いす用個室を利用しています。個室はたいして広
くはありませんが、静かなので落ち着けます。それに、自分たちさえ煙草を吸
わなければ、禁煙席になるのもよい点です。ただ、この車いす用個室の最大の
欠点は、ほとんどエアコンが効かないことです。通風口があるのみで、客室外
の通路とほとんど気温が変わらないのです。そもそも乗務員用の荷物置き場に
手を加えた程度の個室なので、当然なのかもしれません。これまでは、学会の
ある春と秋の気候のいいときを中心に利用していたので、大きな問題には到り
ませんでした。
一方、オープン席は客室ですから、エアコンがきちんと効きます。それに、
個室と違って、売り子さんが通れば当然わかるので、旅行の気分がきちんと味
わえます。問題は、東海道・山陽新幹線のオープン席は、喫煙席にしかないこ
とです。これまでにも何回かオープン席は利用していたのですが、私たち二人
は煙草の煙が大の苦手なので、最近は個室に逃げ込んでいたというわけです。
悩んだ末、やはり温度を優先して、往復ともオープン席をとりました。
当日、オープン席に落ち着いてしばらくした後、通りかかった車掌に頼んで
個室の気温を確認しました。やはり、気温は通路とあまり変わらずひんやりと
していて、オープン席を選んだのは正解でした。暑さ寒さに強くない方は、現
状では、真夏と真冬の個室の利用は避けた方がいいと思います。
JR東海・営業部商品管理課(03-3271-8153)の話では、いま導入が進んで
いる新幹線の新型車両にのぞみ型(300系)というのがあり、個室もだいぶ
改善されたとのことでした。座席も広くとってあって、エアコンもよくなって
いるはずだそうです。客室用の個室として売れるほどという話でしたので、車
いす利用者もようやく人として扱ってもらえるようになったみたいです。
実は行きに使ったのは、のぞみ型車両でした。それなのに、個室の気温は決
して過ごしやすい高さにはなっていませんでした。理由の一つとして考えられ
るのは、利用者が来るまでは、個室は閉め切って通風口を閉じたままにしてい
ることです。もしかすると、個室に入ってしばらくたつと、気温が上がってく
るのかもしれません。しかし、暖まるまで待たせるようでは、よいサービスと
は言えません。
もし、誰も個室を利用していないときでも通風口を開け放しておけば、少し
は暖かくなるはずです。問い合わせたJR東海の人に、提案してみました。こ
れは、採算とは関係なく運用面だけのことなので、実現できそうな手ごたえを
得ました。のぞみ型の個室は海側にあるので日当りもよく、この改善がなされ
れば、居心地がよくなるかもしれません。
いっそのこと、オープン席を禁煙席にしてしまえば、こんな問題もなくなり
ます。一応この意見も言ってみましたが、灰皿を撤去する費用がかかるという
ことで、当面の実現は難しそうです。
いろいろ話をうかがった中で、苦情窓口として、“オレンジボックス”とい
うものがあることも教えてもらいました。各駅に箱が備え付けてあって、そこ
へ投書すると、書面で回答してもらえるとのことです。
新幹線は国内では車いす利用者にとっても比較的便利な移動手段だと思いま
す。気が付いたことがあれば積極的に意見を言って、より便利にしていきたい
と考えています。
皆さんもご存じかと思いますが、車いす用座席の情報及び切符購入法は、J
R時刻表に掲載されています。詳細はそちらを参照して下さい。JTB時刻表
には、残念ながら載っていません。
[1996年 2月・記]
(注1) 2013年3月現在、N700系の個室は快適です。助かっていま
す。
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### 飛行機の予約 ### No.39、1996年 5月25日発行、P.8-9.
東京都文京区 小濱 洋央 (Kohama Akihisa)
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皆さん、こんにちは。また出て参りました。
坂上さん、私の「日本物理学会の対応」(No.37、p.6)についてのコメント
ありがとうございました(No.38、p.8)。坂上さんが参加されたときの会場で
は、不便なことが少なくて幸運だったと思います。私も、基本的には坂上さん
と同じように、「学会だから人はたくさんいる」からなんとかなるという立場
です。ただ、東北大学であった春の学会で、雪の降る中をさまよってしまった
のがきっかけで、車いす情報の掲載をお願いしました。
現状ではなかなか難しいとは思いますが、学会など多くの人が集まる所には、
何もお願いしなくても車いす利用者のための情報などが提供されるようになっ
ていってほしいものです。
では本題です。
最近、飛行機を利用された方の報告がいくつか掲載されています。私もこれ
まで何度か飛行機を利用して、国内外の旅行をしてきました [1]。残念ながら、
まだ電動車いすでは飛行機を使っての旅行をしたことはありません。
私の持っている情報が少しはお役に立つかもしれませんので、飛行機の予約
について以下にまとめます。
私は、旅行代理店では航空券のみ購入します。私が車いす利用者であること
は、特に言いません。そして、具体的な要望は、航空会社に直接電話をしてお
願いするようにしています。最近では、車いす利用者の対応に慣れた業者もあ
るようですので、そういったところにお願いするのもよいのかもしれません。
私がこれまで海外旅行に利用した航空会社は、ユナイテッド航空、カンタス
航空、日本航空で、国内旅行に使ったのは、日本航空と全日空です。上記の海
外の航空会社二社では、通常の国際線の予約係で私の要望を受け付けてくれま
した。両者とも非常にきちんとした対応をして下さり、とても好感を持ってい
ます。
日本航空(JAL)には、“プライオリティー・ゲスト予約センター(電話:
03-5259-3783、午前9時〜午後5時、毎日)”という窓口ができました。ご存
じの方も多いと思います。身体に障害がある人や食事などに配慮が必要な人を
専門に、相手をしてくれる窓口です。このような対応に別の窓口が必要という
発想は、日本的な印象を受けます。本来は通常の窓口で様々な要望に対応でき
るべきと思いますが、何もないよりは、はるかに助かります。実際、この窓口
ができる前と比べて、対応は格段によくなりました。一方、残念ですが、全日
空(ANA)にはこの種の窓口がありません。
さて、毎回私が航空会社にお願いする具体的な要望は、以下の通りです。
●●●車いすについて●●●
1)自分の手動車いすに乗って行くこと。
2)機内用車いすの手配してほしいこと。
3)搭乗直前まで自分の車いすに乗り、搭乗口で機内用車いすに乗り換えたい
こと。また、下りるときも、搭乗口を出たところで再び自分の車いすに乗り換
えたいということ。
たいていのことは向こうが質問してくれるので、それに答えれば大丈夫だと思
います。ただ、3)を言わないと、チェックイン時に車いすを預けることになっ
てしまうことがあるようです。機内用車いすは私には乗り心地の良くないもの
が多く、不要な疲労を増さないために、乗っている時間をできるだけ短くする
ようにしています。
また、介助者として妻が同行することも告げておきます。
●●●座席について●●●
1)中央の列のスクリーンの前の席で、通路側に座りたいこと。
2)通路が左側にくる座席が便利なこと。
原則的に安売り航空券の席の指定はできないそうです。しかし、車いすから座
席への乗り移りに便利なことを説明すると、その座席が空いてさえいればとっ
てくれます。2)は、機内では私に食事介助が必要なためです。妻が右ききの
ため、狭いエコノミークラスの座席では右側から食べさせてもらわないと大変
窮屈な思いをします。
日本の航空会社の飛行機に乗るとき、こうした座席の要望をすると、とたん
にもめます。自分で移動のできない人には自動的に窓際の席が割り当てられる
からです。これは、もし動けない人が通路側にいると、奥に座った人が非常時
に逃げられなくなるからだそうです。こういうことを平然と言ってのけてしま
う日本の航空会社の“野蛮さ”には、いつも驚かされています。ただ、JAL
のプライオリティー・ゲスト予約センターができてからは、お願いをすれば聞
いてもらえるようになりました。
こうして、これまでに何度も交渉を重ねてきた結果、そのやり方について私
も少しは学んできました。まず、あたりまえのようですが、どのような要望を
出すにしても、こちら側の主張をはっきりさせることが必要だということです。
そして、もしできないと言われたときには、きちんと理由を聞くのがいいよう
に思います。納得できない理由には、おかしいのではないかときちんと反論し
ていくことも大事です。
ここで説明した私のやり方は、考えうる失敗や不快さを避けるための方法で
す。冒険好きの方や、面倒なことは大嫌いという方にはお勧めできません。
【参考文献】
[1] ボストン旅行記・その一、その二、最終回、
小濱洋央、SSKA頚損、全国頚髄損傷者連絡会、
No.57 (1994) p.29-31、1994年 2月26日発行、
No.58 (1994) p.48-51、1994年 4月26日発行、
No.59 (1994) p.26-29、1994年 8月26日発行、
[1996年 4月・記]
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### ノートの簡易複写法 ### No.42、1996年 11月25日発行、P.6.
東京都文京区 小濱 洋央 (Kohama Akihisa)
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今年の夏も大変に暑く、私はすっかりばててしまいました。皆様はいかがお
過ごしでしょうか?
さて先日、三日間の大学院集中講義に大学院生に混じって出席してきました。
私の研究分野に近い講義内容だったのと、講義終了後に講義ノートが配布され
そうだったこともあって、気合いを入れて自分でノートをとってみました。私
は書字用装具をつければ自分で字を書けるのですが、板書をもらさずノートに
写すほど速くは書けません。この時は少しはしょったりしましたが、だいたい
の内容は書き留められました。小さめの字で書いたのもよかったのだと思いま
す。その際、学生時代に、授業のノートを誰にとってもらうか、自分では簡単
にはとれないものか、などと考えていたのを思い出しました。
中・高校生や大学生の高位頚髄損傷者が復学する際も、授業のノートをどう
するかは意外と大きな問題だと思います。もちろん今はコピー機が発達してい
ますので、誰かのノートをコピーさせてもらえばよいというのが一つの解答で
す。
コピーによる複写の主な難点は、コピー代がかかることと、ファイルに保存
するのにかさばることがあります。コピー代は学校・大学側で補助される可能
性がありますが、保存の問題は残ります。特にA3版・片面コピーで半年もた
めると、A4版ファイルにかなりの量です。
その代替案として、私はカーボン紙による複写を友人にお願いしていました。
この方法は、私が神奈川リハに入院していた際に知人から教えてもらったもの
で、とても重宝しました。
必要なものは、市販のB5版程度のカーボン紙と好みのルーズリーフ用紙で
す。カーボン紙は最近はあまり使われないようですが、文房具屋に行けば数百
円で何枚も入ったものが買えるはずです。これらをノートにはさんで、誰かに
ノートをとってもらえばよいのです。とりわけ、筆圧の高い人が下敷を使って
書くととてもきれいに写り、コピーのものより読み易いほどです。
この方法の長所は、授業が終わると同時にノートが手に入ること、安価であ
ること、そして保存にかさばらないことが挙げられます。一方欠点は、ノート
を書いている人が消しゴムを使いにくいことです。何も考えずに消しゴムを使
われてしまうと、こちらのノートの該当箇所が真っ黒になります。間違えたと
ころに線を引いて別の場所に書き直してもらうのが、最も簡単な対処法だと思
います。ある友人は、定規を挟み込んで消しゴムでノートの方を直し、ルーズ
リーフ用紙には直接書き加えるという高度な技術を開発してくれました。
もしノートとりに困っている方がいらしたら、カーボン紙での複写を試され
たらいかがでしょうか?
[1996年 8月・記]
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### 非常勤講師を始めました ### No.45、1997年 5月号、P.6-7.
東京都文京区 小濱 洋央 (Kohama Akihisa)
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ご無沙汰しています。過ごしやすい季節になってきました。
さて、今回は個人的な報告をさせて下さい。この4月から東京都清瀬市にあ
る日本社会事業大学で、一般教養の数学を教え始めました。4月17日(木)
が第1回目の講義で、丸の内線と西武池袋線を電動車いすで乗り継いで行って
まいりました。介助者は、私が慣れるまでの間は妻に頼みます。
小さな大学の選択科目なので10人程度の講義を予想していたのですが、当
日は30人もの学生が聴きにきてくれました。学会発表やセミナーで多くの人
の前で話すことには慣れているつもりでしたが、初回の講義ということもあり、
若干緊張致しました。講義後には何人かの学生が質問や要望を伝えにきてくれ、
私も講義への意欲が増しました。
講義はOHPとレーザーポインタを用いて行いました。また、大きな声を出
し続けるのはつらいので、ワイヤレスのピンマイクを用意してもらいました。
私の講義にあたっては大学側が非常に好意的で、とても助かっています。
今回聴きにきてくれた学生の数が大幅に減ることのないよう頑張るつもりです。
追伸:妻の真実子と共著で本を出版することになりました。題名は『車いすで
カリフォルニア』で、日本評論社から6月下旬発売予定です。詳細はまた報告
致します。
[1997年 4月・記]
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### 『車いすでカリフォルニア』を出版しました ###
ひとくちインフォメーション「新刊コーナー」No.46、1997年 7月号、P.13.
東京都文京区 小濱 洋央 (Kohama Akihisa)
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前回の通信でもお伝えしましたが、この6月末に『車いすでカリフォルニア』
という題で、本を出版しましたので報告します。妻の真実子と共著です。全国
の書店で購入できますので、よろしかったら読んでみて下さい。
この本は、1991年夏に私たち初めて送った二カ月間の海外生活をエッセ
イ風にまとめたものです。私は車いす利用者の立場から、そして妻は介助者の
立場から、それぞれ書いています。海外に行く際の準備や向こうでの経験を中
心に、アクシデントや失敗談も含めてできるだけ具体的に綴りました。また、
写真とイラストは真実子が担当しています。車いすでこれから海外に行こうと
考えている人の参考にしてもらえると嬉しいです。何卒よろしくお願い致しま
す。
【参考】『車いすでカリフォルニア』(日本評論社)
小濱洋央・小濱真実子(共著)
四六判上製。248頁。本体価格:1500円。
[1997年 6月・記]
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車いすで、風薫るアメリカ東海岸
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車いすで、風薫るアメリカ東海岸、小濱洋央、
その一、ヴァージニアで〈すのこ〉と再会、
日本(ニッポン)全国[特派員]報告・特別寄稿・その一、
WE'LL、Summer、Vol.7、(1997) p.93-94. 1997年 6月 30日発行;
その二、ホワイトハウス表敬訪問、
日本(ニッポン)全国[特派員]報告・特別寄稿・その二、
WE'LL、Autumn、Vol.8、(1997) p.73-74. 1997年 9月 30日発行、
株式会社アテックインターナショナル。
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株式会社アテックインターナショナル
(〒180 東京都武蔵野市吉祥寺本町 1-31-11 KSビル8F)
Tel:0422-20-8515(代表)
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===== 車いすで風薫るアメリカ東海岸 =====
小濱 洋央(ルビ:こはま・あきひさ)
日本社会事業大学非常勤講師(数学)
理化学研究所・基礎科学特別研究員(原子核物理学)
[その一、ヴァージニアで〈すのこ〉と再会]
原子核・素粒子物理学の国際会議に参加するため、昨(1996)年5月2
0日(月)から約二週間、バージニア州東部とワシントンDCを旅行してきた。
手動車いすに乗った私に、介助者として妻の真実子が同行した。会議は、ウィ
リアムズバーグ(Williamsburg)にあるウィリアム・メリー大学(the
College of William & Mary )を会場として、5月22日(水)から約一週間
開催された(写真1)。じつは前年にも、物理の研究会に参加するために同地
を訪れている。海外の同じ所へ二度行くのは初めてだ。
ところで、私たちが初めて国境をまたいだのは、1991年夏のことである。
この滞在は二ヶ月間にわたり、その経験を拙著『車いすでカリフォルニア』に
まとめた [1]。私たちの海外生活の原点が記してある。
さて、成田空港からシカゴ経由でバージニア州のノーフォーク(Norfolk )
国際空港までは、16時間近くの道中だ。楽しみの前のつらいひと時でもある。
今回もユナイテッド航空を利用した。宿泊したのは会議事務局お勧めのホテル
で、大学から通りを隔ててすぐだった(写真2)。ツインのハンディキャップ・
ルームは広く、洗面所も車いすで使いやすい。全米でも知られる観光地のコロ
ニアル・ウイリアムズバーグ(Collonial Williamsburg)からも数ブロックと、
遊ぶにも適した場所である(写真3)。
アメリカの多くの大学の敷地は、ひどく広い。この大学も例外ではない。し
かも会議会場が、午前の総合講演と午後のパラレル・セッションで離れた場所
になった。往復には森の中の上り下りもあって、人に頼むにしても徒歩で移動
するのはかなりきつい。事務局に事情を話すと、リフトタクシーを手配してく
れた。費用も負担してくれ、とても助かった。大きな会議ではあったが、車い
すでの参加者は私一人だ。
会議では、歌手の奥田民生に似た実験屋のトムや、中国出身の女性研究者の
ハイヤン、他にも世界各地で研究をしている友人たちと再会できた。国際会議
は多くの人が集まり、会議自体にもまして、議論ができて楽しい。
私の研究結果の宣伝も兼ねて会議後の数日を過ごしたジェファーソン研究所
(Jefferson Lab.)では、嬉しいことがあった(写真4、5)。洗面所の木製
の〈すのこ〉を保管しておいてもらえたのだ(写真6)。前年訪問した際に、
研究所の宿舎の洗面所が高くて使いにくかったので、作ってもらったものだ。
「また来ますから、とっておいて下さい」と言っておいてよかった。おかげで
車いすのまま洗面も洗髪もでき、かゆがりの私も満足だ。
さて、いよいよ次の目的地、ワシントンDCへと向かう。ここからは純粋に
遊びである。(次号につづく)
・参考文献・
[1] 小濱洋央・小濱真実子『車いすでカリフォルニア』日本評論社、1997年。
[1997年5月記]
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写真注釈:
写真1.ウィリアム・メリー大学(the College of William & Mary )。
ハーバード大学についで全米で二番目に古い大学だそうだ。
写真2.会議期間中に泊まったホテル。
写真3.コロニアル・ウィリアムズバーグ。
開拓時代のアメリカの姿が残っている。
スロープやエレベータが設置されているところが多い。
写真4.ジェファーソン研究所。有益な物理の議論ができた。
写真5.研究所の宿舎外観。
写真6.バスルームの〈すのこ〉。
とても頑丈で、高さは15センチぐらい。
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[その二、ホワイトハウス表敬訪問]
5月31日(金)、バージニアでの予定は無事おわり、妻の真実子と共にワ
シントンDC(以下DC)へと向かう。さあ観光だ。前年(95年)同様ノー
フォーク(Norfolk )国際空港で、定員28名の小型プロペラ機に押し込まれ
る。
DCが全米有数の観光地の一つでもあることは、前年春に初めて訪れて知っ
た。週末には確かに「おのぼりさん」風のアメリカ人でごった返している。美
術館や博物館が、アメリカにしては〈隣接して〉いくつもある。車がなければ
移動の不便なアメリカで、DCは徒歩でも回りやすく、車いす利用者にとって
も便利で貴重な観光地である。
私たちが滞在したホテルは、通りを隔ててホワイトハウスのすぐ東隣りにあ
る。そのホテルで予想外のできごとに遭遇した。予約の際にはもちろん「ハン
ディキャップ・ルーム」をお願いした。ところが、いざ通された部屋はバスルー
ムに手すりがあるだけで、洗面台は車いすでは膝がつかえて使えない。これで
は『車いすでカリフォルニア』の再現だ(文献参照)。四泊もするのに、これ
ではつらい。少々ぐれかけていた私だが、言うべきことは言わせてもらおうと、
妻に手動車いすを押してもらい、媚びた表情が松田聖子に似たフロント係に文
句を言いに行った。
「あら、そういうことでしたら、ちょっとお待ちくださいね」
と彼女は答えると、意外と簡単に車いす利用者用の部屋と交換してくれた。今
度は洗面台も使えて、すっかり上機嫌の私である。「ハンディキャップ・ルー
ム」にも車いす利用者向けとそうでないものがあるようだ。おかげで帰国まで
の数日を気分よく過ごせた。
ところで私は知らなかったのだが、なんとあのホワイトハウスの中に入るこ
とができる。そこでクリントン大統領に挨拶でもしてこようと、私たちは土曜
日にその「白亜の館」へと出向くことにした。一般見学者用の正面入口から行
くと、見学できる部屋にたどり着くまでに階段がある。段差なしで通れる裏の
出口が車いす利用者用入口だ。長蛇の列に組み込まれずに入れるのは嬉しいが、
階段でしか行けない場所を見られないのは残念だ。エレベータを探し回ろうに
も見学ルートは堅固に守られている。ジェームズ・ボンドの助けでもあれば別
だが、そこを外れることすら妻と私には困難だった。公開されているのは多く
が立派な応接室で、あちこちの壁には歴代大統領の玉石混交の肖像画がかけて
ある。
「大統領は、どちらにいらっしゃいますか?」
と警備員に尋ねようとしたが、どの顔も怖そうだ。ビルには悪いが、挨拶はま
たの機会としてそこをあとにした。その後の美術館巡りも満喫し、15日間の
旅程をなんとか終えて帰国の途につく。(おしまい)
[参考文献]
小濱洋央・小濱真実子『車いすでカリフォルニア』日本評論社、1997年
(洗面台やベッドを整えていく様子は、この本の第二章と第三章に詳しく書
いた)。
[1997年8月記]
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写真注釈:
写真1.私たちが乗ったプロペラ機。
写真2.DCで滞在したホテルの入口。
写真3.ホワイトハウスの敷地内にて。旅行後半になると、やや肉付きがよく
なっている私。
写真4.東洋美術収蔵で有名なフリーア(Freer )美術館の正面。手前には車
いす利用者用の入口の方角を示す標識が見える。
写真5.フリーア美術館の車いす用入口。後方の扉が開くと特大のエレベータ
に乗れる。
写真6.帰りに空港まで利用したリフト付きシャトルバス。
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ともに怒る
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ともに怒(ルビ:いか)る、
小濱洋央、
エッセイ・バリアフリーへ、p.8-9、
『あけぼの』・特集:「バリアのない心 −だれもがともに生きる社会を−」
●書籍のご案内『車いすでカリフォルニア』、p.44、
1998年 8月号、平成10年 8月 1日発行、第43巻 8号(毎月一回一日発行)
発行人:聖パウロ女子修道会(代表者:田尻律子)。
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聖パウロ女子修道会・『あけぼの』編集部(〒107-0052 港区赤坂 8-13-42)
Tel: 03-3479-3164 Fax: 03-3479-6037
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=== ともに怒(ルビ:いか)る ===
小濱 洋央(ルビ:こはま・あきひさ)
日本社会事業大学非常勤講師(数学)
理化学研究所・基礎科学特別研究員(原子核物理学)
〈文句屋〉の私としては、やはり一言いわせてもらわねばならない。駅員を
待っている間に身体が冷え、奥歯がかちかちと音をたて始めているのだ。
「もう少し早く上がってきてもらえると助かるんですよねえ。まあエレベー
タがあれば済むことなんですけど」
地下鉄・都営三田線のK駅にも、長い階段を通らなければたどり着けない。
別に珍しいことではないが、電動車いすに乗って日常生活を送る私には甚だ不
便である。妻・真実子と外出した真冬のある日、B区役所近くのこの駅を利用
した。
六人の駅員に車いすごと持ち上げてもらい、階段を降りて改札口へと向かう。
手伝ってくださる方々も大変だろうが、私にとってもストレスのたまるひと時
だ。身体が傾いてバランスを失うこともしばしばで、無意識に眉間にしわを寄
せている。
「まったくねえ、こんなに階段ばっかり作って。区役所に近い駅だっていう
のに使いにくくってしょうがないのよ」
年配の女性の大きな声がした。私たちの後ろを、やや派手な服装をした太めの
ご婦人が手すりにつかまりながらゆっくりと階段を降りている。
「持ち上げられるんだってさ、大変なんだよ。あんたたちだってねえ、その
うち階段の辛さがわかるよ」
妻はその人に歩調を合わせて階段を降りながら、相づちを打っている。駅員た
ちは苦笑しつつも、私を階段の下まで運び終えた。
通りすがりのおばさまが、外で北風に吹きさらされてちぢこまった私の心を、
ぬくぬくと暖めてくださった。なにしろ、不愉快な思いをしたとき、見知らぬ
人に同じ目線で文句を言ってもらえることは稀なのである。私はこのような人
に「バリアのない心」を感じる。そして、小学生の頃から協調性がないと言わ
れ続けてきた私にも、共に行動してもらえる喜びがほのかに味わえたのだった。
[1998年5月記]
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寮の空気
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寮の空気、小濱洋央、
東京大学向ヶ岡学寮創立五十周年記念・寮史、寄稿編、p.85-86、
編集・発行:五十周年記念式典実行委員会、1999年11月20日発行、
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=== 寮の空気 ===
小濱 洋央(ルビ:こはま・あきひさ)
理化学研究所・基礎科学特別研究員(原子核物理学)
一九八八年入寮
向ヶ岡学寮がついに五〇周年を迎える。その知らせには、近いうちに廃寮と
なる見通しが強いという話も書いてあった。めでたいのか寂しいのか複雑な気
持ちで
「何それ、マジかよ」
とつぶやいた。
一九八八年四月に私は大学院理学系研究科に入学した。そのときから、本郷
での学生生活と寮の生活が同時に始まる。大学院からの入寮は、通常は認めら
れていない。私は車いすを使って生活しているため、例外にしてもらえた。神
奈川県藤沢市の自宅から研究室に毎日通うのは困難だというのが、大きな理由
である。ただ、入寮にあたっての設備改善については、いろいろともめたのも
事実だ。当時の寮委員の方たちが大学との交渉をしてくださり、どうにか入寮
へと漕ぎつける。月曜日から金曜日を寮で過ごし、週末に帰宅する生活を送っ
た。
私より前に車いすを使う方が住んでいたことがあるそうで、寮の出入口や建
て物内に段差はない。あの当時から汚かった寮の建て物ではあるが、車いすの
ままあちこち難なく移動できて感激したのを覚えている。私の場合さらに、身
体の障害で体温調節がうまくいかないため、部屋にエアコンを付けてもらった。
また、浴室が使えないので、帰宅時以外にもせめて洗髪ぐらいはできるように、
食堂に通じる廊下にシャワー付きの洗面台も付けてもらえた。
私の身辺の介助のために、母が付き添うことになる。ベッドと車いすの間を
移動するときには、母ひとりの力では無理なので、いつも寮生が手伝ってくれ
た。朝でも夜でも娯楽室に行けばたいてい誰かいたので、安心だった。
一九九〇年一二月、三年弱お世話になった向ヶ岡学寮を結婚とともに退寮し
た。寮に近い弥生二丁目の小さなマンションで、その後の八年間を過ごす。寮
の食堂であったパーティーに、妻と二人で招かれたことがある。冷やかされに
行ったような気もするが、皆で私たちの結婚を祝ってくれた。
そのパーティーの席で寮生たちが
「マジ、マジ」
と海鳥の集団が呼び合うように連発するのを聞いて、妻は面食らいながらも、
妙に納得した顔をしていた。帰宅途中、妻は私に
「やっとわかったわ」
と言う。どうやら私は妻に
「何それ。マジ?」
と口癖のように言っていたらしい。私はあまり意識せず言っていたのだが、彼
女はそれが気持ち悪かったそうだ。パーティーに参加して、図らずもことの背
景を理解したとのことだ。私もすっかり寮の空気に馴染んでいたのである。
学寮なしに、私の大学院生活は語れない。いつも食事を作ってくださった横
山さんが早くに亡くなられてしまい、昔から話題にはなっていた廃寮が現実の
ものとなりそうだ。車いす利用者を受け入れて、そして送り出してくれた寮の
空気は、いつまでも残していってほしい。
[1999年8月記]
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KOHAMA, Akihisa