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わたしの“ささやき”

主な介助をしていた小濱真実子が、夫・小濱洋央のブログ『Sasayaki diary』『ささやき』などのこぼれ話や思い出話を綴ります。

【小濱洋央の文章】

スダチのつぼみがふくらんで、アゲハが飛んできています ⁄ 2024年5月7日 火曜日

『ささやき』(2014年5月8日)
「スダチ(酢橘)の花 」

  自宅を出てすぐのところに植えてある
スダチの花がいくつか咲きました。
勤めに出るときや帰りに見ると、
自然と笑みがこぼれてしまいます。
というのも、
去年は黒カビ病にやられたせいなのか、
一つも咲かなかったのです。

 2010年11月、賃貸マンションから一戸建てに住み替えた。
小さな庭だけれども、木を植えて自然と親しみたいねと二人で相談した。

 食い意地の張ったわたし達のこと、実のなる木を選んだ。
玄関に近い所に植えたのがスダチの木。
あまり大きくならなそうで、暑さ寒さに強いらしいし、実が使いやすそう、ということで。
家の出入りに必ず通るので、観察しやすい。
柑橘類のスダチの葉には、春から夏にかけてアゲハチョウが卵を産みに来る。
「クロちゃんがいたよ」
「アオちゃんになったよ」
「あ、いなくなった、食べられたちゃったのかな」
と報告しあった。
卵からかえった黒い幼虫(クロちゃん)がアオムシ(アオちゃん)になると、
鳥に食べられてしまうことが多いようだった。
まれにサナギを見つけることもある。

 「公園から連れてこようか、それともインターネットで買おうか」
と持ち掛けられたことがある。
ミミズを、だ。土を肥やしてくれるから、である。
わたしは庭に穴を掘って、落ち葉を入れて、レジャーシートで蓋をしていた。
腐葉土づくりの穴だ。
しばらくすると、そこに立派なミミズが見つかった。
ミミズを連れてくることや買うことに抵抗感のあったわたしは、
ホッとしたものだ。

 「生まれ変わったらミミズになりたいよ」
と語っていた夫。
その単純明快で自然に貢献する生き方に敬意を抱いていたようだった。
そろそろ会えるかな。

ガンダムとのご対面 ⁄ 2024年4月5日 金曜日

『Sasayaki diary』(2017年3月6日)
「Unicorn (ユニコーン)」

  ロックバンドのユニコーンも気に入っていますが、

今回の話題はガンダムでございます。



  現在のお台場には、実物大の初代ガンダムが

雄姿を見せてくれています。

何年か前に、会いに行ってきました。

今日の朝刊によりますと、

この初代ガンダムが遂に引退するとのことです。

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 横浜の実物大“動くガンダム”が先月で終了、
のニュースに接して、
お台場のガンダム立像に会いに行った時のことを思い出した。
上の記事の5年前の10月のよく晴れた日曜日のことである。
りんかい線に初めて乗っていった初めてのお台場、
ちょっとした冒険だった。
ガンダムは立派なお姿で、顔が少し動くのを楽しんだ。

 夫は機動戦士ガンダムのアニメを好んでいて、
かつてはビデオ、のちにはDVDをよく観ていた。
だいぶ前には、貸しビデオ屋に通わされたものだ。
シリーズをずっと追っていたようだったが、
とくに初期のものは何度も観ていた。
「どういうところがいいの?」
と聞くと
「リアリティーとテーマの深さかな」
と答えていたが、
今思うと、主人公である機械いじりの好きな少年アムロ・レイに、
かつての自分を重ねていたのかもしれない。
ここぞという時には
「アキ、行きます!」
と、アムロの台詞をもじっていたものだ。

 ガンダムとの面会は結局この1回だけになってしまったけれど、
この日の満面の笑みは忘れられない。

 “動くガンダム”は終わっても、
実物大ガンダムはまだお台場と福岡と上海にいるらしい。
うちの13cmのガンダムもすっくと立ち続けている。

学会発表を助けてくれた小道具 ⁄ 2024年3月24日 日曜日

『Sasayaki diary』(2015年4月4日)
「都内で学会」

  先週、都心の大学で学会の年次大会に参加し、

ボクたちの最近の研究成果を報告してきました。

学会は半年に1度、各地の大学でおおむね順番に

開催されています。都内開催は久しぶりです。

宿泊の手配が不要なので少し気が楽です。

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 毎年、だいたい3月と9月に物理学会は行われる。
学会は、活気と和やかさにあふれた独特の雰囲気があった。
自宅から通える場合は、介助パートの方々に
同行していただいた。
それ以外の時にはわたしが付いていった。
「アー、また学会が来ちゃうよ」
と、ため息をつきつつ楽しそうな夫であった。
学会は人と知見、土地、そして甘味との出会いの場だったのである。

 発表の前に夫は、
スライドを映すためのノートパソコンの操作を
他の研究者の方にお願いしていた。
そして、ピンマイクを付ける。
ピンマイクは主催者が用意したものが使えた。
小型のマイクを服の襟に付け、小型の機械を膝の上に置く。

 それから、発表する内容を映した大きな画面を
指し示す必要がある。
会場にある指示棒は夫には使えないので、
レーザーポインターを持参した。
夫のは赤いレーザー光線が出るものである。
それをマジックテープ付きの伸縮性のあるベルトで手に括りつける。
この時ばかりは緊張した。
写真にあるように、ボタンがミソだ。
光らせるのにスイッチを指で押す仕組みなので、
この指の代わりに衣服に付けるボタンを輪ゴムで留めていたのである。
貧乏性のわたしが溜めていたボタンの中から選んだものだ。
どういう経緯でこのやり方になったのかは
残念ながら忘れてしまったが、これが意外にうまくいっていた。

 ここ数年はコロナの出現で学会もリモートになってしまい、
出番が無くなってしまった小道具だ。
よく使い込まれたなあ、と眺めて
ちょっとジーンときてしまった。

あれからもう13年、です ⁄ 2024年3月8日 金曜日

『Sasayaki diary』(2016年3月11日)
「あれから5年」

 あれから5年が経ちました。

2011年3月11日(金)14時46分ごろ、

ボクは職場の居室のある建物の1階で

エレベータを待っていました。

すると急にエレベータのボタンの明かりが消え

エレベータが停止してしまったようです。

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 今年も3月11日が近づいている。

 その時、わたしは自宅で一人、
震度5強の揺れに慌てていた。

 このブログにあるように、
夫はその時たまたま1階にいたので、
エレベータを使わずに済んで、無事に帰宅できた。
研究室は3階だったので、
そこにいたら大変なことになっていたに違いない。
なにしろ電動車いすが重いので。
本人の体重は不明だが。

 毎年、夫も勤務先の理研で避難訓練に参加していた。
東日本大震災のあとで、
エレベータが止まってしまった場合に備え、
理研が階段昇降機を用意してくださった。
訓練の際には他のかたが昇降機に括り付けられて、
試していた。
夫がそこに座っていなかったのは、
少々残念な訓練だったのかもしれない。
移動の手間を考えて、本人が遠慮したのだろう。
もと介助パートさんによると、
「こはまさんの指示も操作もおっかなかったけど、
私達も昇降機の操作の練習をやりましたよ」
とのことだった。
訓練の際にも話に出たそうだが、
昇降機に夫を移して機械を使うより、
人手があれば車いすごと運んでしまった方が早いとも思う。
でもともかく、皆さま訓練お疲れさまでしたと言いたい。

 地震といえば、わたしは熟睡すると、
ちょっとやそっとの地震には気付かず、
よく夫に呆れられていた。
なんとも頼りない介助者だったな。

花粉症の予防にもなる毎日の習慣 ⁄ 2024年2月26日 月曜日

『Sasayaki diary』(2016年2月19日)
「雨水」

 「あまみず」ではなく、

今日は二十四節気の一つ、

雨水(うすい)だと知りました。

立春から数えて15日目頃だそうで、

今年の立春は2月4日でしたから、

今回は16日目ですね。

冬至から1/6年という方が

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 花粉が飛んでいる、らしい。
わたしはまだ花粉症ではないから、
こういう言い方になる。
幼い頃から鼻炎で、
小学校の健康診断で必ず引っかかり、
耳鼻科に通わされていたクチ、というか、鼻である。
おまけに両親ともに花粉症だったのだから、
素質は大いにあるのだと思う。

 夫も同様の鼻炎で、
十代のころは鼻が詰まって眠れないなど、
苦しんでいたようだ。

 そんな彼が二十才ぐらいで知ったのが、鼻洗いである。
「テレビで誰かが言ってたんだよ」
とのことだった。
やはり元テレビっ子である。
世間では、鼻洗浄とか鼻うがいと呼ばれているようだ。
鼻の穴の中を洗って、空気を通りやすくする。
やり方はいろいろあって、
洗浄液や塩水、ぬるま湯を使ったり、
片方の鼻の穴から入れてもう片方から出す、
というやり方もあるらしい。

 夫の場合、コップに入れた水道水を
鼻から吸って口から出すのを2度ほどしていた。
この簡単なやり方は、なんといっても続けやすい。
そのあと、鼻にティッシュペーパーを詰めて落ち着かせる。
これを毎朝、洗面所で歯磨きのあとで行っていた。
わたしも結婚後、それにならっている。
慣れないうちは、痛く感じたり、
せき込んでしまったりもした。
が、続けると上手くいくようになって、
その爽快感にやめられなくなる。
夫も花粉症知らずだったし、
わたしもとりあえず今のところなっていないのは、
これのお陰に違いない。
と力説しながら、鼻がムズムズ、なんてね。

今年も梅が咲いてくれています ⁄ 2024年2月9日 金曜日

『Sasayaki diary』(2015年2月15日)
「春告草」

  きょうは数日ぶりに明るく晴れた朝でございました。

雨が降ったせいもあって、ほどほどの湿度も嬉しいです。

寒がりのボクにはまだまだ辛い日が

続いておりますけれど、何やらいい感じでございます。



  ふと気づくと、近所の梅の木に蕾がついて、

少し膨らんできています

(写真はありませんけど・・・)。

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 ここ数年、夫はさらに寒さを避けて、
梅の花の時期には仕事以外の外出をためらっていた。

 少し暖かくなると、
天気を見計らって外に出る。
時々、お休みの日に最寄り駅の近くまで、
お昼ごはんを食べに行った。
夫は電動車いすで、わたしは徒歩で、
お散歩がてら。
その帰り道、
木に止まっている小鳥を目ざとく見つけ、
「あっ、メジロだ!」
と鳥に遠慮して小さく、
でも得意げに叫んでいたのを思い出す。

 ここで話は鳥のように飛ぶのだけれど、
能登半島地震で被災された方々は、
断水が続いてお風呂になかなか入れないという。
訪問入浴サービスも少しは動きがあるものの、
まだこれからだとラジオで聞いた。
能登に早く春が来ますように。 

結婚記念日に想うこと ⁄ 2024年1月27日 土曜日

『Sasayaki diary』(2018年1月27日)
「ツナの日」

  誠に勝手ながら、

本日1月27日は27(ツナ)の日と

させていただきたいと思います。

  おいしいマグロ料理を

食べるのでございます。

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 この日の夕食は近所のお寿司屋さんの出前で、
夫は「鉄火と中トロの丼」を、わたしは「にぎり」を食べた。
なぜお寿司かと言えば、この日は結婚記念日だったから。
仲の良い時ばかりではないので、
毎年祝ったわけではないが、
この年は祝えたのである。
1991年のこの日に、わたし達は結婚式と披露パーティーをした。
まだ夫は大学院生であり、ささやかな会であった。

 なんでこんな寒い時期に、と今なら思う。
招かれた方々はさぞ迷惑だったに違いない。
二人とも若くて元気で、考えが浅かった。

 振り返ると、わたし達は二人で一人前だった。
これはノロケでなくて、事実だと思う。
わたしは介助や家事や雑用をしたが、
パソコンの扱いや数字に関すること、
対外交渉が苦手で、夫に頼っていた。
それぞれに仕事を持って自立して、
介助は社会的サービスに依頼できたら、
どんなにかお互い精神的身体的に自由だったろう。
半人前のわたし達は助け合って生活し、
それはそれで面白かった。
でも、これでいいのかな、という葛藤はあった。
これからの人には人生の選択肢がたくさんあることを
望みたい。
今のわたしとしては、
この経験を糧に生きていくしかないんだけれど。
今夜はマグロのお刺身にしようかな。

2018年1月3日 自宅にて

お風呂のうれしい季節です ⁄ 2024年1月8日 金曜日

『Sasayaki diary』(2016年1月25日)
「脈拍は素数が嫌いなのかな」より一部抜粋


 脈拍が素数になることは少ないようなのです。

素数が嫌われているのでしょうか。、


素数とは、1とそれ自身でしか

割り切れない自然数のことです。

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 夫は脈拍を週に1回測ってもらっていた。
それは訪問入浴サービスを受けていたから。
お風呂に入れていただく前後に、
体温や脈拍などを看護師さんが測ってからの、
「バイタル、オッケーです!」
のひとことが必要だったのである。

 この入浴が夫の憩いのひと時になるかどうかは、
入れてくれる方々の働きぶりにかかっている。
お湯の温度をうまく保たれ、
メンバー3名がよく動いてくれて、
雑談が盛り上がったりすると、
いい雰囲気になった。
わたしは垢すりを片付けたりしながら、
口をはさんだり、はさまなかったり。
アニメ好きのお姉さんと夫との話が盛り上がると、
自然と長風呂になる。

 夫は湯疲れし、
ヘルパーさんたちは慌てて片付け、
次の訪問先へと
脱兎のごとく去って行ったもんだ。

甘いものが本当に好きでした ⁄ 2023年12月8日 金曜日

『Sasayaki diary』(2015年3月8日)
「金平糖 1」より一部抜粋

※ “金米糖,金蛭糖,糖花などとも書く。” 世界大百科事典(平凡社)

  好きなのでございます、金平糖が。

ボクは甘いものに目がないもので、

金平糖から離れられません。

いつも携帯しているのでございます。

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 夫が会議などに出席する出張に、
わたしも介助のために大抵くっついて行った。
金平糖好きは、
出張先の京都で金平糖の専門店と出合ったのも
大きかったんだと思う。
まあ、そこでそんなに買い込んだわけではなく、
普段はお手軽なものを愛用していた。

 夫は、よく言われる「甘さ控えめ」を
敵視していた。
車いすで入りにくい店も残念ながら少なくないが、
お菓子を買う時には店員さんに
「一番甘いのはどれですか?」
と尋ねる。
戸惑いながら店員さんが教えてくれる「一番甘いの」を
もちろん買った。

 一緒に食べた中で最強は、
オーストラリアのホテルの部屋に置かれたクッキー。
わたしも甘いものは好きだけど、
ちょっと付いていけなかった。
激甘クッキーを頬張る顔は
幸せそのもの、だったっけ。

9年前と似たような予報の冬が来ます ⁄ 2023年11月24日 金曜日

『Sasayaki diary』(2014年12月28日)
「寒さ対策」より一部抜粋

  この冬は、とても寒いような気がします。

当初の長期予報では暖冬とも言われていましたけれど、

どうなのでしょう。

11月後半あたりから急激に寒くなってきたのが

こたえております。

ボクは暑さに弱いのですが、

寒さにもめっぽう弱いのです。

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 「今年もあと37日だよ、ああ年末は忙しくてイヤだ」
と、数えるのが好きな夫がぼやきそうな時期になった。

 夫はその後、電熱ベストなるものを知り、
ここ数年、愛用していた。
冬場は、暖かい部屋の中でもセーターの上に着る。
服にこだわりがない夫にしては、
バッテリー代も含めてちょっと高価なものだった。

 それまでカイロを膝掛けの間や背中に貼っていたが、
この背中というのが曲者だ。
お尻の除圧のために定期的に車いすの背もたれを倒して
いたのだが、その時に背中にカイロが押し付けられる。
シャツ、ポロシャツ、チョッキの上に貼っていたのだけれど、
背中は低温やけどになってしまった。
感覚が鈍いので本人は気づかない。

 電熱ベストは背中のカイロの代わりにもなる。
使っていたベストは温度が3段階あって、
除圧の際には温度を下げた。

 介助のパートさんにもやっていただいていたのだが、
夫の胸元にあるボタンを押して温度を変えるのは、
正直に言って手間である。
バッテリーの充電もしなければならない。
でも、背中の痛々しい焼き印が消えていくのは感動的だったな。

そういえば、テレビっ子でした ⁄ 2023年11月8日 水曜日

『Sasayaki diary』(2014年7月7日)
「蕎麦屋にて」より一部抜粋

  2年ぐらい前のことです。都心の病院に行った折り、

不忍池にほど近い蕎麦屋で昼食をとることにしました。

ボクたちは15年ほど前まで近所に住んでいたこともあり、

行く用事がありますと、ついつい寄りたくなるのです。



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 このとき一緒にお蕎麦をすすっていたのを思い出す。
噺家さんは帽子を被って地味な服装だったと思う。

 夫は芸能人探知能力を持っていた。
ホテルのロビーで、空港で、街中で、
視力の良いから遠くても気付く。
テレビっ子だったからか。

 毎朝、新聞のテレビ欄と
「きょうの番組」の欄(なかテレビ欄と呼んでいた)だけは
熟読していた。
好きなお笑い番組を見る時は、
さほど大きくないテレビ画面に
入ってしまいそうな勢いで見入る。
夫のベッドの上半身部分を起こし、
テレビを見ながら食事していた時のこと。
食事介助をしていると、
夫の口の動きが緩慢になり、
影が薄くなっていって、
ちょっと怖かったな。

こんなこともありました ⁄ 2023年10月30日 月曜日

『Sasayaki diary』(2014年6月26日)
「ガリレイの生涯」より一部抜粋

ふと思い出しました。去年の今ごろ、2013年6月に

「あうるすぽっと」(東池袋)で文学座の舞台を見てきたのでした。

『ガリレイの生涯』

本格的な見応えのある公演で、楽しかったことを思い出します。

原作はブレヒトの同名の戯曲。

ボクがとても感銘を受けた本のうちの一冊です。

ベルトルト=ブレヒト著・岩淵達治訳『ガリレイの生涯』(岩波文庫)

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 2013年6月16日、日曜日の午後、
「あうるすぽっと」という劇場は二人とも初めてで、
待ちに待ったお芝居であり、
ワクワクして行ったのを覚えている。
わたしの日記での評は、
「演劇の内容はまあまあ、かな。
光る俳優さんもいらした」
と、夫の感想に比べて控えめになっている。

 その帰り道、夕食にたまたま入った池袋の居酒屋で、
お通しに一人400円も取られ、二人でショックを受けた。
お酒を飲むわけでないのに、
頼んでもないのに、
と、とても損をした気持ちになったものだ。
ここでは両者の意見は完全に一致していた。