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わたしの“ささやき” 2026年

主な介助をしていた小濱真実子が、アキこと夫・小濱洋央のブログ『Sasayaki diary』『ささやき』などのこぼれ話や思い出話を綴ります。 (テーマ別 /  2023年 /  2024年 /  2025年 /  2026年)

【小濱洋央の文章】

*お知らせ* 2025年 5月、妻よりご挨拶 を更新いたしました。

根津の町を歩いてきました ⁄ 2026年4月17日 金曜日

 向ヶ岡学寮がついに五〇周年を迎える。その知らせには、近いうちに廃寮となる見通しが強いという話も書いてあった。めでたいのか寂しいのか複雑な気持ちで
 「何それ、マジかよ」
とつぶやいた。


 一九八八年四月に私は大学院理学系研究科に入学した。そのときから、本郷での学生生活と寮の生活が同時に始まる。大学院からの入寮は、通常は認められていない。私は車いすを使って生活しているため、例外にしてもらえた。

 同じ時期に寮生だった方が、夫の旅立ちを今年になって知ることになり、お彼岸の前に悼んでくださった。

 お気持ちがありがたく、アキが寮にいた頃のこと、寮を出て近くに住んでいた8年弱のことが思い出された。

 先日、他の用事のついでもあり、文京区の住んでいた辺りを久しぶりに歩いてみた。

 最寄りの地下鉄の根津駅にはかつては長い階段しかなかったが、さすがに今はエレベーターが備わっている。

 町はそれなりに変わっていた。建物は全体的に巨大化していたが、残っていたものも少なくなかった。たまに一緒に行っていた豚カツ屋さんはなくなっていたが、から揚げの美味しかったお肉屋さんは残っていた。

 住んでいた小さなマンションは、少し古びて生き延びていた。入居時の35年前は新築だったのだ。

 わたし達のいた1階の部屋は日当たりが悪く、訪ねてきてくれた伯母に「半地下だね」と憐れまれたものだ。立地のよい物件で家賃を払えるところをやっと見つけたので、半地下なんて気にしていなかった。

 寮までの道のりは大学の敷地沿いを通る。あの頃お休みの日に敷地内で勝手に二人でバドミントンをやっていた。何度か近所のおばあさんが見に来て、将棋とお酒の好きだった旦那さんの話をしていった。今ではそんな、いい加減な空間はなくなっている。

 寮の方に、アキの研究に通う際の介助をお願いしていたこともあった。車いすからベッドへの乗り移りの介助中にアキが床に落ちてしまい、慌てて寮に電話をして、助けを呼んだこともある。この道を急いで来てくださったのだろう。思いの外、距離がある。

 そんなことを考えていると、寮のあった場所が眼前に現れる。しとしと雨の中、桜の古木たちが花を咲かせはじめていた。

 白いお上品な2階建ての洋館が、澄ました顔をしていた。黒っぽくて和風で生活感のあった(わたしの印象では)寮とは対照的だ。大学関係者用の宿泊施設になっていて、レストランは外部の人も利用できるようだ。

 お庭には学寮址を表す石碑がある。寮の関係者でお金を出し合って建てたものだ。レストランは開店時間前だったので、敷地内に入ることはあきらめ、後ろ姿の石碑にご挨拶となった。

 「第二の故郷だよ」とアキが馴染んでいた根津の町は、面影を残しつつ、穏やかに迎えてくれた。

ハーモニカとのお付き合い ⁄ 2026年3月14日 土曜日

 これ何? 澄んでいて、きれいな音色。聴いていたら、クロマチックハーモニカとのことだった。クラシックでオーケストラとの共演というのにも驚いた。

 2003年1月のある朝、いつものようにアキの出勤前の支度をしていた時、ラジオから流れてきた音がきっかけだった。

 「ハーモニカなら高校の音楽の時間に吹いてたよ」
とアキが言いだす。
「どうやって?」
「ホルダーで固定して」
「そっか。じゃあ、また吹いてみたら?」
と、急に話が盛り上がった。

 それからハーモニカについて調べたら、いろいろな種類があるらしい。クロマチックハーモニカは、横に付いているレバーを押して半音を出せるのだ。2週間後には、池袋の楽器屋さんへ一緒に行って、ハーモニカとホルダーを買っていた。

 ハーモニカがホルダーからずれないように、消しゴムを挟んだのは、アキのアイデアだった。

 わたしの方が物理的にも時間的にも通いやすいので、ハーモニカ教室で習ってきて、技を伝授したりもした。

 そうして、自宅で一緒に吹いていた。「ハモろうよ」の呼びかけで始まる合奏を、少なくともわたしは楽しんでいた。

 アキがレバーの操作をどうするかというモンダイについては模索した。ハーモニカの先生に聞いたり、自助具工房に問い合わせたりもしたが、後回しにしてしまっていた。

 2007年3月には、アキの勤め先である理研の器楽同好会の「春よ来い」スプリングコンサートに出演した。

 理研内のホールで、研究者や事務職員の方々が、ピアノ、ヴァイオリン、サクソフォン、リコーダーなどを演奏する。プロ級の方々もいらして、刺激的だった。

 素人部門のわたし達は、オッフェンバックの「ホフマンの舟歌」を二重奏した。いま振り返ると、演奏者にふさわしくないロマンチックな選曲だった。けっこう緊張したのを覚えている。

 ところで、クロマチックとは半音階の、という意味だ。それが結局、アキの場合「名ばかりクロマチックハーモニカ」だったのは、ちょっと残念なことではある。

映画館で「マジンガーZ!」 ⁄ 2026年2月13日 金曜日

 近ごろ体調が少し上向いてきたもので、

とても久しぶりに、

映画館で映画を見てきたのでございます。

 『劇場版 マジンガーZ / INFINITY』

  妙な専門用語が飛び交い、

突っ込みどころ満載ではありましたが、

楽しんで参りました。

  光子力って何なんだぁ?!

  池袋の映画館に行ったのですが、

地下2階の上映階まで階段しかなかったのは残念でした。

せめてもの救いは、従業員が快く階段の

上り下りを手伝ってくれたことではあります。

  観客には、かつてテレビアニメで

『マジンガーZ』に熱中したであろう方々が多数。

ノスタルジーを感じてしまうのでしょうねえ。

かく言うボクもその一人ではございます。

  それにしても Wikipedia によりますと、

主役の「兜甲児」って、

ロボット工学が専門の科学者だったんですねぇ。

 晴れていたが、それなりに寒い日だった。

 地下2階までの階段を、劇場のスタッフの方々に手伝っていただいた。この築30年越えのちょっと古い映画館は、翌年に閉館している。設備の整ったところに、めでたく引き継がれた。

 黒っぽい上着をまとったおじさん達に混じって、客席へ。

 巨大ロボットアニメというらしい。こういう類の映画を見慣れていないわたしは、迫力ある画面と大音量に圧倒されていた。話の内容はよく理解できていなかったように思う。

 でも、水木一郎さんの歌う主題歌は知っていた。終盤の高揚感で、二人とも歌い出しそうな勢いだった。

 劇場でアキと一緒に観た映画といえば、「風の谷のナウシカ」に始まり、「ネバーエンディングストーリー」、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」、「あ・うん」、「外科室」、「チルソクの夏」といったところが印象深い。古いものが並んでしまったが。お互い多少の我慢をして、相手の好みに付き合っていたものだ。

 それで最後が「マジンガーZ」になったのは幸いだった。今のわたしは、観たい映画を勝手に観ているのだから。

 ちなみに、マジンガーZの動力源である架空の「光子力」について、アキは 翌月11日のブログで解説してくれていた。

在宅勤務で知ったこと ⁄ 2026年1月23日 金曜日

 ここ数日、偏西風の蛇行が原因となって

この冬一番の寒波が襲来しているらしいです。

それでひどく寒いのですねえ。

 気象情報サイトを見ておりましたら、

東京23区の“極寒の地”(そして夏は“猛暑の地”)として

今や全国的に有名になってしまった

練馬区の最低気温は、

今日が零下3.2度、そして昨日が零下4.0度

と記録されていました。

東京で零下なのでございますよ!

観測地点は練馬区石神井台。

このような低い気温には、

久しぶりにお目にかかった気がします。

そろそろ寒さの底となっていただきたいものです。

 いやはや、オチがなくて申し訳ございません。

 冬の仕事場で、彼女たちは薄着だった。半袖のTシャツ姿だったりした。寒くなると、思い出す。

 コロナ禍で、今から6年前からしばらくアキも在宅勤務になった。それに伴い、仕事中に手伝ってくれるパートさん達に、自宅に来ていただくことになる。

 わたしは、もともと基本的には家にいる。ちょっと緊張しながら、それまで知らなかった情景を目の当たりにした。

 アキは自分の見える所に温湿度計を置いて、居室を暖かくしていた。本人はしっかり着込んでいる。パートさんは、その環境に対応してくれていたのだ。わたし自身が寒がりだから、その服装にハッとしたのかもしれない。

 6人ぐらいの方々が一人ずつ、午前と午後の交代制だった。皆さん、自分のやり方を通す人間に、よく付き合ってくださっていたものだ。

 在宅勤務の際、もうひとつ驚いたことがある。

 アキが介助パートのそれぞれに対して、その人に合わせた雑談をよくしていたのだ。こんなに喋るんだ。こんなに気配りするんだ。

 長く勤めてくれていた方もいるが、そうもいかない方もいて、
「仕事を覚えたと思ったら辞められちゃうんだよね」
と嘆いていたアキの配慮でもあったのだろう。


 その一方で、「こっちにも気遣ってほしいよ」と、わたしは不満だった。この経験で、自分は体だけでなく心まで小さい奴だと思い知った。