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わたしの“ささやき” 2024年

主な介助をしていた小濱真実子が、アキこと夫・小濱洋央のブログ『Sasayaki diary』『ささやき』などのこぼれ話や思い出話を綴ります。 (テーマ別 /  2023年 /  2024年 /  2025年 /  2026年

【小濱洋央の文章】

*お知らせ* 2025年 5月、妻よりご挨拶 を更新いたしました。

「冷やしちゃ駄目っちゃ」 ⁄ 2024年12月19日 木曜日

  この冬は、とても寒いような気がします。

当初の長期予報では暖冬とも言われていましたけれど、

どうなのでしょう。

11月後半あたりから急激に寒くなってきたのが

こたえております。

ボクは暑さに弱いのですが、

寒さにもめっぽう弱いのです。



  寒さ対策として、

・膝掛け

・ゆたぽん(白元) “湯たんぽ”ではなく商品名です。

・貼るカイロ

・巻きスカート

と、まあできることは、いろいろと

試している次第でございます。

もちろん、どれもそれぞれに効果がありますので、

寒さが厳しくなるにつれて、身仕度に手間取るように

なって参ります。

ちなみにこの冬は、フル装備になるのが

早かったような気がしております。



  でも、ここまで書いてみて何なのですが、

結局のところ寒い時は

暖房で暖かくした室内をきちんと加湿して、

そこに籠ってしまうのが一番なのでございます。

これがボクにとっての一番の寒さ対策かもしれません。

 その後、これらの装備に、前述の防寒ベストと、靴の上に被せる登山用のシューズカバーが加わった。足元の保温も大事なのである。

 アキは登山とはあまり関係なかったけれど、山の道具にはお世話になっていた。少々値は張りがちだが、しっかりした素材と造りで安心だ。

 「冷やしちゃ駄目っちゃ」
と、NHKテレビの朝のドラマ「風のハルカ」で使われていた大分弁で、アキはよく口にしていた。朝ドラをいつも見ていたわけではないけれど、2005年のこれは何故かけっこう熱心に観ていたのだ。

 そういえば、NHKの朝ドラでアキが最も気に入っていたのは、「凛凛と」(1990年4~9月)。

 大正時代前後にテレビジョンを開発していた畠山幸吉、コウさんを田中実さんが好演していた。その妻の役に荻野目洋子さん、そのほか野村宏伸さん、小野みゆきさんらが脇を固めて、突飛な場面もあったが、爽やかに面白くできていたと思う。

 テレビドラマとしては珍しく研究者の話だ。川原田政太郎さんというモデルがいる。朝ドラで初めて海外ロケをしたらしいが、覚えてはいない。

 わたし達が結婚する前の年に放映されていたのが、個人的には意外だった。アキと観ていた印象が強かったのだ。彼の実家に行って介助の仕方を習ったりしていた時期なので、それで一緒に観たこともあったのだろう。どうでもいいことだけど・・・。

フォーク・コンサートにて ⁄ 2024年11月22日 金曜日

  秋も終わりに近づいているのでございます。

ボクは9月から11月までを秋だと思いたいもので

11月末の今はまさに晩秋。

朝晩はだいぶ寒くなってきてしまいました。

  この時期にお約束のようにラジオから流れてくる

1977年発売の

 「冬が来る前に」(紙ふうせん)

いいですねえ。

心に沁みてくるのでございます。

 今年もラジオで、この「冬が来る前に」を聞いた。

 歌っている「紙ふうせん」と同じくフォークの分野の南こうせつさんのコンサートに、ずっと前に二人で出かけたことがある。

 藤沢市民会館の車いす席は比較的前の方で、ちょっと居心地がいい。

 当時ラジオ番組で親しんでいた、こうせつさん。せっかくだから声を掛けようと打ち合わせていた。

 曲と曲の間で、二人で声を合わせて、
「オイチャーン」
と、こうせつさんの愛称を呼んだ。

 聞こえたのはよかったけれど、
「かくれんぼみたいだね」
と言われ、場内の苦笑を誘ってしまった。掛け声がのどか過ぎたのだろう。

 そんな経験があり、気が付けば、おばさん力も加わった今のわたしは、寄席で気合いを入れた声が掛けられるようになっている。

五嶋みどりさんとの交流 ⁄ 2024年11月7日 木曜日

 「去年も来てくださいましたよね」
と、みどりさんに言われて、アキもわたしもびっくりした。

 弦楽器は、どちらかというと寒い季節が似合っている気がする。ここ何年も行けなくなってしまったけれど、ヴァイオリニスト、五嶋みどりさんのコンサートには一緒に何度も行ったものだ。

 その演奏の素晴らしさに、アキもわたしも惚れ込んでいた。社会的な活動もしていらっしゃって、余計に応援したくなる。

 みどりさんはコンサート後、ロビーに出てきて、交流の時間をもってくれていた。演奏でお疲れだろうに、満面の笑顔で対応してくださり、ありがたかった。

 列に並んで、サインと握手、記念撮影をさせていただけた。アキはおまけして早い順番にしてもらえたような気もする。

 そこでアキは、みどりさんに冒頭の言葉を、独特の早口で言われたのだ。

 「みどりさんは、ボクのことをちゃんと覚えてくれているんだよね」
と、これが自慢話のひとつになった。

 車いすだと目立つし、アキはこういう時に遠慮しないで話しかけるし、覚えてもらえて、よかったよかった。

 その半面、車いす席は場所が決まってしまっているし、人目につくぶん悪事を働きづらいのけれど。

読書の秋です ⁄ 2024年10月25日 金曜日

  ハイテク (high-tech) 機器も、もちろん好きなわけですが、

ローテク (low-tech) 機器だって侮れないのでございます。

なにしろ、故障や型の変更 (model-change) の

少ないものが多いです。



  その一つとしてボクが近ごろ実感したのが書見台です。

寝室での読書に愛用している書見台がいよいよ

古くなってしまい、ついに買い替える決心を致しました。

なにしろ、本を立てておくのが役目なのに、ちょっとした

衝撃で本が倒れることが増えてしまったのです。



  とある通販サイトで検索してみると、なんと昔と

まったく同じ商品が出てくるではありませんか。

この書見台、私の記憶が正しければ、35年弱も前に、

藤沢駅近くの書店で購入したものです。

まずは同じものがあったことに驚きましたが、

当時の価格の2倍以上したのにも驚きました。



  丁寧に使っていたつもりではありましたが、

やはり年期もの。

新品と比べてしまうとその違いに愕然としました。

新品はしっかりしているのですよ。

しかも、見た目も使い勝手も使い慣れた先代と同じです。

これだけの長い間、型が変わらないで手に入るというのも

ローテク製品ゆえなのかなと勝手に納得していたのでした。



[ケンコー書見台 BM101A (レイメイ藤井)]

ケンコー書見台 BM101A (レイメイ藤井)

 このアキの文章は、長く使ってきた書見台を、同じ型のものに買い替えた、という話。

 書見台は、ベッドの上でもよく使っていた。寝支度を済ませてからのひと時、読書の時間にしていたのである。そのうち、タブレット端末の便利さを知って、それが取って代わることになった。

 そろそろ読書週間らしい。

 アキとは同じ本を読んで感想を言い合ったこともあった。加賀乙彦さんの長編小説『永遠の都』は、二人で愛読していた。

 主人公の少年の祖父で、かくしゃくとした老医師を、アキは特に気に入って、口癖の「それは重畳(ちょうじょう)じゃ」を、うれしそうに使っていた。

 最近、その本をちょっと見たくなって自宅の本棚を探してみたけれど、見当たらない。変だなあ、と思って、気が付いた。あっ、図書館で借りて読んでいたんだ。

 結婚して最初に住んだ部屋は狭くて、アキの専門書以外の本はだいたい買わずに借りるもの、ということになっていた。地域の公立図書館に、障害をもつ人向けに宅配サービスがあって、利用していたものだ。

 図書館で本を借りてきて読む習慣は今も続いていて、書見台も便利に使わせてもらっている。わたしはハイテクになかなか移行できない。

ノーベル賞との接点 外国人編 ⁄ 2024年10月15日 火曜日

  今週は、ノーベル賞 Week でございます。

  発表初日、医学生理学賞で京都大学特別教授の

本庶佑氏が受賞されたのは素晴らしいことです。

翌日の朝刊でも一面から大きく扱われていて、

賞の重みが伝わりました。

  一方で2日目の物理学賞、3日目の化学賞では、

日本人受賞者が含まれていなかったためでしょうか、

同じ新聞の一面にはノーベル賞の「ノ」の字もなく、

どのような業績に対して賞が与えられたのかすら、

頁を繰ってこちらから探しに行かないと

分からない有り様です。

  某ラジオ局の朝のニュースでも

一言も触れていませんでした。

  日本人がノーベル賞を受賞するのは

確かに素晴らしいことです。

ただ、ノーベル賞は人類の科学史上に残る

大発見を称えているわけですから、

誰が受賞しようと、

新聞一面の片隅くらいには載せておく、

ラジオでも誰がどのような業績で受賞したか

一言ぐらいは触れる、というのも

報道の役割だと思うのですが・・・。

 今年のノーベル賞ウィークは、AIがらみの物理学賞・化学賞、韓国人女性の文学賞、被団協の平和賞、と、何かと注目したくなる結果になった。

 オリンピック・パラリンピックなど他の行事と同様に、日本人の受賞ばかり報道されるという問題は、もちろんあると思う。

 ここで、あえて日本人でないノーベル賞受賞者との接点をたどると、まず、アキは学部の学生のころ、ファインマンさんの東京での講演会に行ったことがある。

 わたしも『ご冗談でしょう、ファインマンさん』という自伝はアキに薦められて読んだものだ。素人でも楽しく読めた。

 そして、1991年にアキの共同研究のため、一緒にカリフォルニアに2カ月間滞在した時のことである。お世話になっていたS教授に、カリフォルニア工科大学、通称カルテクに車で連れて行っていただいた。目的はセミナーへの参加だった。

 その際、大学構内の駐車場で記念撮影をした。

 ノーベル賞受賞者で、そこの教授だったゲルマンさんがいらしたわけではなく、お名前を、駐車場の壁にアキが目ざとく見つけたのである。マレー・ゲルマンさんは「陽子や中性子を構成している点状粒子、『クオーク』の名付け親」だそうだ。

 その時のことは共著書の『車いすでカリフォルニア』の中にアキが熱量をもって書いていて、写真も載せてある。カメラを向けたわたしは、「ばかにしたようににやにや笑って」いたらしい。

原爆が残したもの ⁄ 2024年9月26日 木曜日

 先日、原爆の図 丸木美術館に行ってきた。丸木位里さんと丸木俊さんが描かれた「原爆の図」という連作絵画を展示する美術館である。

 埼玉県東松山市にあり、アキと一緒に行けないものかと調べたこともあったが、交通の便が今ひとつなので、先延ばしになっていた。

 実際に作品を目の当たりにすると、想像以上に大きな絵で、その迫力に圧倒された。原爆に晒された人間に焦点を当てている。現実を直視しようという思いが伝わってきた。

 2階建てで、階段しか見当たらない。職員のかたに尋ねてみたら、乗り移れれば椅子型のリフトが使えるそうだ。これを使える人は限られ、アキには難しい。エレベーターがあったらいいのに、と残念でならない。

 アキとは広島平和記念資料館を見学したことがある。

 1999年3月、物理学会が広島であったので、その機会に行ったのだ。広島に住んでいる、わたしの友人とその旦那様に車を出して案内してもらえて、助かった。アキの専門は原子核物理学であり、無関心ではいられない。

 わたしが最も印象的だったのは、黒焦げになった誰かのお弁当だ。ああ、また食べ物の話になってしまった。

 原爆が残したものは悲惨すぎる。このことを忘れてはいけない。

バドミントンをやっていました ⁄ 2024年9月5日 木曜日

 現在開催中だが、パラリンピックといえば、ホテルの部屋である。

 かつて長野市内に泊まる用事があった折り、ホテルに車いすで泊まれる部屋が少し前に作られたと言う。タイミングの良さに驚いたが、実のところ、選手の方々がお泊まりになるためのもの。パラリンピックのお陰だった。

 スポーツといえば、アキは大学生の頃、体育実技特別クラスで、卓球をやったそうだ。ラケットを利き手に括り付けて行う。

 その後、少しは体を鍛えようと、わたしとバドミントンをやっていた時期がある。これまた手首にラケットを括り付けるので、卓球と同様、ラケットの軽さがポイントだ。

 たいてい日曜日、近所の空き地や公園でやるので、風が大敵だ。午前中の方が風が弱いようだった。

 「いち、に、さん、し、」と数え、
「ナイスキャッチ!」
も、たまに出る。

 ラリーを長く続けるのを励みにして、わたしがアキの打ちやすいところに羽根を飛ばすようにする。彼は思いのほか上手に返してきた。

 最初は、バドミントンだけで帰ってきていたが、そのうち
「せっかく外に出るんだから、エサ場がなくっちゃね」
と、アキが強く主張。

 バドミントンのあとは外でお昼ごはん、が定着する。運動のあとはお腹がよく空いてくれて、チェーン店の天丼をしっかりたいらげた。

 そのころの写真を見たら、アキの顔がしっかり、ふくらんでいた。

NHKラジオ「子ども科学電話相談」は40周年だそうです ⁄ 2024年8月23日 金曜日

 アキ少年は居間の出窓から電話機をお膳の上に運んだ。受話器を耳に付けて、ダイヤルを人差し指で回す。ツーツーツー、話し中だ。何度目もやってみるが、つながらない。 「もっと早くに掛ければいいのに。」 という母親の声。弟も呆れたような顔で見ている。

 そりゃそうだろうけど、と思いながら、もう一度。あっ、やっとつながった。
「くっ、空気はどうやってできるのですか?」
質問はしたものの、番組の放送時間は終わってしまった。放送はされなかったが、答えてはもらえた。

 これは、50数年前の話で、電話を掛けた先は、TBSラジオの「全国こども電話相談室」だった。当時は人気があったものの、その番組は2008年に終わった。

 ここ数年、我が家では、NHKラジオの「子ども科学電話相談」という番組を都合が許せば聴いていた。BGMのようにかけていた感じではある。日曜日の午前中、夏休みなどにはそれ以外の日にも放送される。

 それなりに選ばれた質問なのだろうが、子どもたちの個性ゆたかな質問と、答え方にも個性が出て、生の面白さがある。相談に答える側が自分のことをどう呼ぶかも聞きどころで、「先生」と呼ぶかたより「おじさん」と呼ぶかたのほうが、うちでは断然人気があった。

16年前のオリンピック ⁄ 2024年8月9日 金曜日

 少しさかのぼるが、2008年のこと、このころアキは、仕事に加えて家を建てる計画に手こずっていた。今ほどではないけれど、それなりに暑い夏だった。アキの体調はよろしくない。寝苦しい夜にわたしは起こされて用を頼まれ、二人とも寝不足になってしまう。

 面倒くさい、つらいつらいと嘆くアキに、
「面倒くさいことを好き好んでやってるんじゃないの?」
と、わたしは言い放ってしまった。こういう時、わたしはきつい言い方をしてしまうらしい。翌日、「傷ついたよ」と言われ、これはまずいと思って、慌てて謝った。

 そんなつらい夏を送るわたし達は、いつになくオリンピックをテレビで熱心に観ていた。時差が少なくて観やすかったのだろう、北京オリンピックだった。とくに女子ソフトボールには盛り上がり、幸い、日本チームは金メダルに輝いてくれた。上野投手をはじめ、皆さんの雄姿がしっかり記憶に残っている。

 応援することで自分たちが励まされた貴重な体験だった。いろんな矛盾を抱えているオリンピックだけれども。

人気メニュー(?)「あかみどり」について ⁄ 2024年7月24日 水曜日

  今日は5月7日。

57(こな)にかけて、

「粉もんの日」らしい。

昼食は、冷凍庫にある

お好み焼きに違いない。

 「粉もん」はもちろん、他のお惣菜でも、冷凍食品をよく利用させていただいてきた。

 共同生活の最初の頃こそ、揚げ物など手のかかる料理に挑戦したけれど、穏やかな気持ちで介助を続けるには、家事の手抜きは必要不可欠だった。でも、いろいろと栄養は取らないといけない。

 アキもわたしも肌が弱い方なのだ。

 いつだったかテレビで、ある女優さんが美肌のためにニンジンを食べるようにしている、と語るのを見て、それをアキに話した。
「でも、調べたら、生よりも加熱した方が吸収がいいんだって。簡単に食べるにはどうしたらいいんだろうね?」
すると、
「細く切って、電子レンジにかけたら? ピーマンと一緒にしてもいいよね。」
とのこと。

 そこで、緑黄色野菜コンビのニンジンとピーマンをそれぞれ細切りにして、レンジ加熱できる容器に入れて、蓋をして、温めてみた。これが「あかみどり」の誕生だった。子どもの敵のような組み合わせだけれど。

 量にもよるが、ピーマン1個にニンジンを適当に加えて電子レンジ500Wで2分半~3分ぐらいだろうか、柔らかくなるまで加熱する。ピーマンの種も食べられるとラジオで聞いたので、一緒に入れることにしている。応用も利いて、ニンジンとキャベツとだと「あかきみどり」、ニンジンと大根だと「あかしろ」になる。加熱後にかき混ぜて、好みの味付けをする。ドレッシングやマヨネーズ、ポン酢に鰹節、ソースでもいい。もちろん、副菜という役割ではある。

 簡単なので、あまりにちょくちょく出すものだから、アキは、またかという顔をしていた。でも、自分が提案した手前、文句も言いにくかった。ちょっと可哀そうだったかな。

 他にも、野菜スープや、簡単ニンジングラッセも作り、何年か、ほぼ毎日ニンジン生活を続けてきて、効果やいかに・・・わたしとしては、美肌には程遠いものの、肌荒れは減った、気がしている。

「きょうだい」がたくさんいました ⁄ 2024年7月9日 火曜日

  突然ですが、下に列挙した方々に

共通することは何でしょう? 

   松本典子 (元アイドル歌手、野球解説者の笘篠賢治の妻)、

   舞の海秀平(元小結)、

   堀江貴文 (あのホリエモン)、

   風間杜夫 (俳優)、

   柳本晶一 (女子バレーボール全日本監督:2003年 --- 2008年)

     (敬称略)

  正解は、・・・

  これまでに、ボクに似ていると言われてしまった方々

なのでございます。

わかる訳がないですね。 ハハハ・・・。

 このアキのブログでは、自分に顔が似ていると人から指摘された方々の名前を並べている。5名のうち、俳優の風間杜夫さんについては、入浴サービスで体を洗われながら介助の方に言われ、最初びっくりして、聞き返していた。  

 でも、光栄だったみたいで、「モリオにいさん」と慕っていた。見かけだけでなく、味のある演技をすることや。落語もなさるということもあって、好感をもっていたのだ。

 アキには実の弟が一人いて、共同研究者の「くろたま兄弟」のお兄さんと弟さんがいて、顔が似ている「風間きょうだい」がいたわけである(義理のきょうだいは省略)。

 先日、風間杜夫さんの若き日の代表作「蒲田行進曲」(1982年)を、隣の区の区立文化会館の企画で上映したので、観てきた。古い映画を鑑賞する会である。 「モリオにいさんの銀ちゃんがカッコよくってね」 とアキが語っていたので、一度観てみたいと思っていたのだ。

 さて、いざ映画が始まったが、困った。はじめ風間さんがどこにいるのか、わからないのである。でも、「銀ちゃん」と呼ばれている人が、その人らしい。

 わたしも他人事ではないけれど、人の顔は変わるものだとつくづく思った。わたしは風間さんの中年以降の顔しか知らなかったのだ。そして、若いころのモリオにいさんは、アキと大分かけ離れていた・・・。

自分のうちが投票所でした ⁄ 2024年6月24日 月曜日

 都知事選の投票日が近づいている。国政でも地方選挙でも、選挙といえば、我が家はいつも100%の投票率を誇っていた。アキとわたしが二人とも投票していた、というだけのことであるが。

 結婚したころには一緒に投票所に行った。投票所で書字用装具を付けて、アキは車いす用の記載台で投票していた。

 そしてそのうちに、
「この方が安心だよ」
と、郵便投票に切り替えることになる。一緒に行くのが嫌になったわけではない、と思いたいところだ。当日雨が降ったり、体調が悪くなったりで、行きづらい、どうしよう、という心配がいらなくなるのである。

 アキの場合、身体の障害があることで「郵便等による不在者投票」の制度を利用できた。この制度のことは、コロナの絡みで話題に上ったように思う。選挙管理委員会に「郵便投票証明書」の交付申請をすると、選挙のたびに投票用紙の請求用紙が送られてきて、その用紙と証明書を返送し、投票用紙を送ってもらう。

 投票日の少し前に、候補者の一覧表を目の前に立てて、自宅の事務机を投票記載台にする。アキは自分で書いた用紙を裏返しにした。それを二重封筒に入れて送るのはわたしのお仕事だ。何を書いていたかは、見ていない。その後の会話で、なんとなくわかることが多かった。もちろん、わたしはわたしで当日投票所に行って投票した。

 今回、改めて調べてみて、郵便投票できる人の条件がけっこう厳しいことに気付いた。アキの場合は、身体障害者手帳が幸い1級だったので利用できたが、投票所に行きにくい人でも、要件にあてはまらないことが少なくないようだ。身体障害の場合は移動に関わる障害の1・2級でないといけない。郵便投票自体に手間がかかるという問題もある。

 制度のせいで投票したくてもできない人がたくさんいそうだ。残念でならない。それに、投票は楽しいものなので、もったいない。

アキのお誕生日の思い出 ⁄ 2024年5月30日 木曜日

  毎年この時期になると、律義に綺麗に
開花してくれます。
ほのかな香りや、開花時は紫色だった
花の色が徐々に
抜けて白くなっていくのも楽しみです。

 自宅の小さな庭には、鉢植えのニオイバンマツリが日当たりの良いところに鎮座している。毎年、アキの誕生日の5月17日あたりに丁度よく咲くことになっていた。今年はずい分早くに咲いてサッサと散ってしまった。

 お誕生日、といえばプレゼントとケーキ。いつからか、毎年わたしからはアキの似顔絵を贈っていた。毎回頭を悩まして、自分なりに趣向を凝らした絵を描いていた。

 そのころアキが好んでいたものを使ったり、旅した場所にちなんだり、仕事をしている様子を描いたり。誕生日までにできれば、当日の朝、ジャジャーン、とお披露目して、驚いてもらえた時の嬉しさといったらなかった。当日に慌てて仕上げて、お披露目がアキの帰宅後になることもあった。後日になってしまったことも、あったかな。
「その目の描き方はちょっと」
などと、もの言いがつくこともあった。仕方なく描き直したり、そのままにしたことも。

 写真の絵は2011年のもので、前年に会議のため沖縄に行ったので、アキがシーサーになっている。

 ケーキは奮発して、デメルのアンナトルテ。ヘーゼルナッツ風味のチョコケーキだ。池袋のお店に電話で予約しておいて、これが用意できれば、文句なし。ろうそくは立てない派。おいしくいただくことが大事なのである。

 最後になってしまった昨年のお祝いには、残念ながらプレゼントとケーキはお休みして、近所のお寿司屋さんにお昼を食べに行った。 居酒屋さんのようなお店だけれど、お寿司はおいしかった。

スダチのつぼみがふくらんで、アゲハが飛んできています ⁄ 2024年5月7日 火曜日

  自宅を出てすぐのところに植えてある
スダチの花がいくつか咲きました。
勤めに出るときや帰りに見ると、
自然と笑みがこぼれてしまいます。
というのも、
去年は黒カビ病にやられたせいなのか、
一つも咲かなかったのです。

 2010年11月、賃貸マンションから一戸建てに住み替えた。 小さな庭だけれども、木を植えて自然と親しみたいねと二人で相談した。

 食い意地の張ったわたし達のこと、実のなる木を選んだ。 玄関に近い所に植えたのがスダチの木。 あまり大きくならなそうで、暑さ寒さに強いらしいし、実が使いやすそう、ということで。 家の出入りに必ず通るので、観察しやすい。 柑橘類のスダチの葉には、春から夏にかけてアゲハチョウが卵を産みに来る。
「クロちゃんがいたよ」
「アオちゃんになったよ」
「あ、いなくなった、食べられたちゃったのかな」
と報告しあった。卵からかえった黒い幼虫(クロちゃん)がアオムシ(アオちゃん)になると、 鳥に食べられてしまうことが多いようだった。 まれにサナギを見つけることもある。

 「公園から連れてこようか、それともインターネットで買おうか」
と持ち掛けられたことがある。ミミズを、だ。土を肥やしてくれるから、である。 わたしは庭に穴を掘って、落ち葉を入れて、レジャーシートで蓋をしていた。 腐葉土づくりの穴だ。 しばらくすると、そこに立派なミミズが見つかった。 ミミズを連れてくることや買うことに抵抗感のあったわたしは、 ホッとしたものだ。

 「生まれ変わったらミミズになりたいよ」
と語っていたアキ。その単純明快で自然に貢献する生き方に敬意を抱いていたようだった。 そろそろアキミミズに会えるかな。

ガンダムとのご対面 ⁄ 2024年4月5日 金曜日

  ロックバンドのユニコーンも気に入っていますが、

今回の話題はガンダムでございます。



  現在のお台場には、実物大の初代ガンダムが

雄姿を見せてくれています。

何年か前に、会いに行ってきました。

今日の朝刊によりますと、

この初代ガンダムが遂に引退するとのことです。

そして今年の秋には、

ユニコーンガンダムがお目見えするそうです。

楽しみです。



  ユニコーンガンダムには、

ユニコーンモード(高さ:19.7m)と

デストロイモード(高さ:21.7m)

の二つのモードがありますが、

お台場にはどちらが姿を現すのか気になります。

やはり、デストロイモードかな。

確認に行かねばならないのでございます。

 横浜の実物大“動くガンダム”が先月で終了、 のニュースに接して、 お台場のガンダム立像に会いに行った時のことを思い出した。 上の記事の5年前の10月のよく晴れた日曜日のことである。 りんかい線に初めて乗っていった初めてのお台場、 ちょっとした冒険だった。 ガンダムは立派なお姿で、顔が少し動くのを楽しんだ。

 アキは機動戦士ガンダムのアニメを好んでいて、 かつてはビデオ、のちにはDVDをよく観ていた。 だいぶ前には、貸しビデオ屋に通わされたものだ。 シリーズをずっと追っていたようだったが、 とくに初期のものは何度も観ていた。
「どういうところがいいの?」
と聞くと
「リアリティーとテーマの深さかな」
と答えていたが、今思うと、主人公である機械いじりの好きな少年アムロ・レイに、 かつての自分を重ねていたのかもしれない。 ここぞという時には
「アキ、行きます!」
と、アムロの台詞をもじっていたものだ。

 ガンダムとの面会は結局この1回だけになってしまったけれど、この日の彼の満面の笑みは忘れられない。

 “動くガンダム”は終わっても、 実物大ガンダムはまだお台場と福岡と上海にいるらしい。うちの13cmのプラモデルのガンダムもすっくと立ち続けている。アキの仕事机からよく見える棚の上で。

学会発表を助けてくれた小道具 ⁄ 2024年3月24日 日曜日

  先週、都心の大学で学会の年次大会に参加し、

ボクたちの最近の研究成果を報告してきました。

学会は半年に1度、各地の大学でおおむね順番に

開催されています。都内開催は久しぶりです。

宿泊の手配が不要なので少し気が楽です。



  一般講演の持ち時間は15分(講演10分+質疑5分)。

短いのです。楽そうにも思えるのですが、

講演は短いほど内容を厳選しなくてはならなかったり

時間配分も要注意で、準備に神経を使うのでございます。

それに、同業者の前で話すわけですから

いい加減なことも言えません。

準備の過程で自分の思考の経過を見直していくことで

ボク自身の理解が深まったりも致します。



  そして、最大のご利益(りやく)は、

定期的に巡ってくる学会講演のお陰で

研究がはかどるように思えることなのでございます。

日々の業務についつい流されがちな

ボクに喝を入れるよい機会、

ということなのかもしれません。

 毎年、だいたい3月と9月に物理学会は行われる。 学会は、活気と和やかさにあふれた独特の雰囲気があった。 自宅から通える場合は、介助パートの方々に 同行していただいた。 それ以外の時にはわたしが付いていった。
「アー、また学会が来ちゃうよ」
と、ため息をつきつつ、どことなく楽しそうなアキであった。学会は人と知見、土地、そして甘味との出会いの場だったのである。

 発表の前にアキは、 スライドを映すためのノートパソコンの操作を 他の研究者の方にお願いしていた。 そして、ピンマイクを付ける。 ピンマイクは主催者が用意したものが使えた。 小型のマイクを服の襟に付け、小型の機械を膝の上に置く。

 それから、発表する内容を映した大きな画面を 指し示す必要がある。 会場にある指示棒はアキには使えないので、 レーザーポインターを持参した。 アキのは赤いレーザー光線が出るものである。 それをマジックテープ付きの伸縮性のあるベルトで手に括りつける。 この時ばかりは緊張した。

 写真にあるように、ボタンがミソだ。 光らせるのにスイッチを指で押す仕組みなので、 この指の代わりに衣服に付けるボタンを輪ゴムで留めていたのである。 貧乏性のわたしが溜めていたボタンの中から選んだものだ。 どういう経緯でこのやり方になったのかは 残念ながら忘れてしまったが、これが意外にうまくいっていた。

 ここ数年はコロナの出現で学会もリモートになってしまい、 出番が無くなってしまった小道具だ。 よく使い込まれたなあ、と眺めて ちょっとジーンときてしまった。

あれからもう13年、です ⁄ 2024年3月8日 金曜日

 あれから5年が経ちました。

2011年3月11日(金)14時46分ごろ、

ボクは職場の居室のある建物の1階で

エレベータを待っていました。

すると急にエレベータのボタンの明かりが消え

エレベータが停止してしまったようです。

 あれ、変だな、

と思ったところ、大きな揺れを感じました。



 揺れは収まるどころかどんどんと大きくなり、

慌てて建物の外へと飛び出したのでございます。

避難場所としている建物前の広場へと

向かいながら、大きな振幅で長い周期で

いつまでも波打つ地面を走っておりますと、

一体全体、地面が揺れているのか、

それとも自分が目眩を起こしているのか

わからなくなってくるのでございます。



  これはもしかすると、

 遠くで強い地震があったのかもしれないな、

 万が一、震源が海底だったら、どうなってしまうのだろう、

と思っていたのを昨日のことのように思い出します。



 あれから5年も経ってしまったのですね。

 今年も3月11日が近づいている。

 その時、わたしは自宅で一人、 震度5強の揺れに慌てていた。

 このブログにあるように、 アキはその時たまたま1階にいたので、 エレベータを使わずに済んで、無事に帰宅できた。 研究室は3階だったので、 そこにいたら大変なことになっていたに違いない。 なにしろ電動車いすが重いので。 本人の体重は不明だけれど。

 毎年、アキも勤務先の理研で避難訓練に参加していた。 東日本大震災のあとで、 エレベータが止まってしまった場合に備え、 理研が階段昇降機を用意してくださった。 訓練の際には他のかたが昇降機に括り付けられて、 試していた。 アキがそこに座っていなかったのは、 少々残念な訓練だったのかもしれない。 移動の手間を考えて、本人が遠慮したのだろう。 もと介助パートさんによると、
「こはまさんの指示も操作もおっかなかったけど、 私達も昇降機の操作の練習をやりましたよ」
とのことだった。訓練の際にも話に出たそうだが、 昇降機にアキを移して機械を使うより、 人手があれば車いすごと運んでしまった方が早いとも思う。 でもともかく、皆さま訓練お疲れさまでしたと言いたい。

 地震といえば、わたしは熟睡すると、 ちょっとやそっとの地震には気付かず、 よくアキに呆れられていた。 なんとも頼りない介助者だったな。

花粉症の予防にもなる毎日の習慣 ⁄ 2024年2月26日 月曜日

 「あまみず」ではなく、

今日は二十四節気の一つ、

雨水(うすい)だと知りました。

立春から数えて15日目頃だそうで、

今年の立春は2月4日でしたから、

今回は16日目ですね。

冬至から1/6年という方が

暦の上では正確かもしれません。



 「空から降るものが雪から雨に変わり、

氷が溶けて水になる」という意味だと

Wikipedia にもありました。

今日も良い天気で、練馬の最高気温は

15度を超えたらしいです。

いよいよ春の息吹きの感じられる頃と

なってきました。

早く本格的に暖かくなるといいですね。

 花粉が飛んでいる、らしい。 わたしはまだ花粉症ではないから、 こういう言い方になる。 幼い頃から鼻炎で、 小学校の健康診断で必ず引っかかり、 耳鼻科に通わされていたクチ、というか、鼻である。 おまけに両親ともに花粉症だったのだから、 素質は大いにあるのだと思う。

 アキも同様の鼻炎で、 十代のころは鼻が詰まって眠れないなど、 苦しんでいたようだ。

 そんな彼が二十才ぐらいで知ったのが、鼻洗いである。
「テレビで誰かが言ってたんだよ」
とのことだった。やはり元テレビっ子である。

 世間では、鼻洗浄とか鼻うがいと呼ばれているようだ。 鼻の穴の中を洗って、空気を通りやすくする。 やり方はいろいろあって、洗浄液や塩水、ぬるま湯を使ったり、 片方の鼻の穴から入れてもう片方から出す、 というやり方もあるらしい。

 アキの場合、コップに入れた水道水を 鼻から吸って口から出すのを2度ほどしていた。 この簡単なやり方は、なんといっても続けやすい。 そのあと、鼻にティッシュペーパーを詰めて落ち着かせる。 これを毎朝、洗面所で歯磨きのあとで行っていた。

 わたしも結婚後、それにならっている。 慣れないうちは、痛く感じたり、 せき込んでしまったりもした。 が、続けると上手くいくようになって、 その爽快感にやめられなくなる。 アキも花粉症知らずだったし、 わたしもとりあえず今のところなっていないのは、 これのお陰に違いない。 と力説しながら、鼻がムズムズ、なんてね。

今年も梅が咲いてくれています ⁄ 2024年2月9日 金曜日

  きょうは数日ぶりに明るく晴れた朝でございました。

雨が降ったせいもあって、ほどほどの湿度も嬉しいです。

寒がりのボクにはまだまだ辛い日が

続いておりますけれど、何やらいい感じでございます。



  ふと気づくと、近所の梅の木に蕾がついて、

少し膨らんできています

(写真はありませんけど・・・)。

梅の咲くのが待ち遠しいのでございます。



  梅の別名は春告草(はるつげぐさ)とも言うそうです。

  “日本における梅の文化” (Wikipedia)

早く春が来て、暖かくなりますように!

 ここ数年、アキはさらに寒さを避けて、 梅の花の時期には仕事以外の外出をためらっていた。

 少し暖かくなると、 天気を見計らって外に出る。 時々、お休みの日に最寄り駅の近くまで、 お昼ごはんを食べに行った。 アキは電動車いすで、わたしは徒歩で、 お散歩がてら。 その帰り道、 木に止まっている小鳥を目ざとく見つけ、
「あっ、メジロだ!」
と鳥に遠慮して小さく、 でも得意げに叫んでいたのを思い出す。

 ここで話は鳥のように飛ぶのだけれど、 能登半島地震で被災された方々は、 断水が続いてお風呂になかなか入れないという。 訪問入浴サービスも少しは動きがあるものの、 まだこれからだとラジオで聞いた。 能登に早く春が来ますように。 

結婚記念日に想うこと ⁄ 2024年1月27日 土曜日

  誠に勝手ながら、

本日1月27日は27(ツナ)の日と

させていただきたいと思います。

  おいしいマグロ料理を

食べるのでございます。

 この日の夕食は近所のお寿司屋さんの出前で、 アキは「鉄火と中トロの丼」を、わたしは「にぎり」を食べた。 なぜお寿司かと言えば、この日は結婚記念日だったから。 仲の良い時ばかりではないので、 毎年祝ったわけではないが、 この年は祝えたのである。 1991年のこの日に、わたし達は結婚式と披露パーティーをした。 まだアキは大学院生であり、ささやかな会であった。

 なんでこんな寒い時期に、と今なら思う。 招かれた方々はさぞ迷惑だったに違いない。 二人とも若くて元気で、考えが浅かった。

 振り返ると、わたし達は二人で一人前だった。 これはノロケでなくて、事実だと思う。 わたしは介助や家事や雑用をしたが、 パソコンの扱いや数字に関すること、 対外交渉が苦手で、アキに頼っていた。 それぞれに仕事を持って自立して、 介助は社会的サービスに依頼できたら、 どんなにかお互い精神的身体的に自由だったろう。 半人前のわたし達は助け合って生活し、 それはそれで面白かった。 でも、これでいいのかな、という葛藤はあった。 これからの人には人生の選択肢がたくさんあることを 望みたい。 今のわたしとしては、 この経験を糧に生きていくしかないんだけれど。 今夜はマグロのお刺身にしようかな。

2018年1月3日 自宅にて

お風呂のうれしい季節です ⁄ 2024年1月8日 金曜日

 脈拍が素数になることは少ないようなのです。

素数が嫌われているのでしょうか。



 素数とは、1とそれ自身でしか

割り切れない自然数のことです。

現在は1は素数に含めないようです。

厳密な定義を知りたい方は、

ご自分で調べてみて下さいませ。



 先日1月24日(日)には、

約2233万桁の素数を

米国の大学教授が発見したとの報道に驚きました。

そう言えば、近ごろ話題の113も素数ですね。



 さて本題でございます。

ボクも時おり看護師さんに毎分の脈拍数を

測ってもらうことがございます。

バイタルサインの一つです。

そしてたいていの場合、その数が

72だったり76だったり致します。

多すぎもせず少なすぎもせず、

まあそんなものかなというところですね。



 ところがふとある時、

自分の脈拍数がほとんど偶数であることに

気付いてしまったのです。

73やら79になることは、少ないのです。



 ちょっと考えてみれば、理由は簡単です。

悠長に1分間もボクの手首に親指を当てて

数えていて下さる看護師さんは多くない

ということなのです。

病棟などでの業務の一環として脈を

取っていると、脈拍が安定している人の時は

できるだけ短時間で済ませようと

努力なさっているということでしょう。



 ですからたいていは、10秒間かぞえて6倍するか、

15秒間で4倍するかのどちらかです。

72は6の倍数でも4の倍数でも

(もちろん3の倍数でも)ありますから、

出現頻度が必然的に大きくなります。

偶数というよりは、4、6の倍数、

あるいは可能性を広げても、

2、3、4、6の倍数というのが正しそうです。

因みに72は、2、3、4、6、

どの数の倍数にもなっています。

まあ6倍するとなると、

それだけ誤差も大きくなりますけどね。



 ですから、脈拍数自体が素数にならないわけではなく、

数え方の問題なのです。



 たまに

 「脈は73です」

とか言われますと、

この人は慎重できちんとした方なのかな、

と思って嬉しく思ってみたりするわけでございます。

必ずしもそうでないこともあるのは、

残念なことですが。



 もちろん脈拍数が6の倍数になったとしても、

その看護師さんが怠け者ということではありません、

念のため。

 アキは脈拍を週に1回測ってもらっていた。 それは訪問入浴サービスを受けていたから。 お風呂に入れていただく前後に、 体温や脈拍などを看護師さんが測ってからの、
「バイタル、オッケーです!」
のひとことが必要だったのである。

 この入浴がアキの憩いのひと時になるかどうかは、 入れてくれる方々の働きぶりにかかっている。 お湯の温度をうまく保たれ、 メンバー3名がよく動いてくれて、 雑談が盛り上がったりすると、 いい雰囲気になった。 わたしは垢すりを片付けたりしながら、 口をはさんだり、はさまなかったり。 アニメ好きのお姉さんとアキとの話が盛り上がると、 自然と長風呂になる。

 アキは湯疲れし、 ヘルパーさんたちは慌てて片付け、 次の訪問先へと 脱兎のごとく去って行ったもんだ。