Aki KOHAMA's  Home Page

わたしの“ささやき” 2025年

主な介助をしていた小濱真実子が、アキこと夫・小濱洋央のブログ『Sasayaki diary』『ささやき』などのこぼれ話や思い出話を綴ります。 (テーマ別 /  2023年 /  2024年 /  2025年 /  2026年

【小濱洋央の文章】

*お知らせ* 2025年 5月、妻よりご挨拶 を更新いたしました。

地下鉄に乗るために ⁄ 2025年12月18日 木曜日

『あけぼの』特集:「バリアのない心 -だれもがともに生きる社会を-」

「ともにいかる」より一部抜粋

 〈文句屋〉の私としては、やはり一言いわせてもらわねばならない。駅員を 待っている間に身体が冷え、奥歯がかちかちと音をたて始めているのだ。
 「もう少し早く上がってきてもらえると助かるんですよねえ。まあエレベー タがあれば済むことなんですけど」
 地下鉄・都営三田線のK駅にも、長い階段を通らなければたどり着けない。

 地下鉄の階段を、電動車いすごと6人の駅員さんに抱えてもらうため、寒いなか待たされて、改札口に向かった時の話。

 見ず知らずの年配女性が、階段を使わせられることについて駅員に文句を言ってくれた。アキもわたしも心が暖められ、励まされた。

 これは1998年の話で、その後この駅にエレベーターはめでたく設置されている。

 昨年発表された国土交通省の調査では、全国の利用者がある程度多い(一日に2~3000人以上の)駅で段差が解消されているのは93.9%となっているが、利用者の少ない駅との格差がある。

 また、電車とホームの間の段差やすき間というのは、ほぼ未解決問題だ。

 電動車いすで乗車するには、スロープを駅員さんに持ってきてもらわなければならない。だから、改札口で電車のどの辺から乗るかを伝える必要がある。

 まあ、そのやりとりをすれば乗れるわけだけれど、
「駅員と口をきかないで電車に乗ってみたいよ。」
と不満をもらすアキだった。

 あと、ひとつ付け加えさせていただくと、都営三田線にK駅は存在しません。架空の駅名ということにしておきましょう。

沖縄体験 ⁄ 2025年11月14日 金曜日

 白い雲が垂れ込める中、米軍の戦闘機が低空を飛ぶ。滑走路の広大さと騒音に、わたし達は圧倒されていた。

 2010年の11月、沖縄で国際会議があり、アキはポスターセッションで発表をした。会議のあとの半日、沖縄を見物する。

 こういう時、車いすのまま乗れる地元のタクシーを利用できるのはありがたい。この時は、後ろから手動スロープで出入りする形だったが、このタイプは簡単でいい。運転手さんは気さくな方で、地元ばなしが弾んだ。

 運転手さんお勧めの琉球村で沖縄の歌などの芸能に触れ、黒糖作り体験をし(わたしがお鍋の中の黒糖を菜箸でかき混ぜただけ・・・)、それから嘉手納基地の見学へ。

 「道の駅かでな」の展望台から、極東最大の米軍の飛行場が見学できる。その騒音は想像をはるかに超えていて、心に染みつくような経験となる。平日だったが、見学者はそこそこいた。

 ささやかな体験だけれど、沖縄の基地問題が身近に感じられるようになった。

 翌日ホテルの部屋で、紙コップ入りの手作り黒糖を、朝食前のおめざとして美味しくいただいた。

 この黒糖のお陰で、わたしの奥歯の金属がはがれる、という余計なおまけも付いていた。

松江にて ⁄ 2025年10月17日 金曜日

 いざ発表を始めるという時、会場のワイアレスマイクが使えない。電池が切れていたのだ。時間に余裕はない。

「こういうこともあろうかと」
と、持参していたマイクを出すよう指示するアキであった。

 1999年秋、島根大学での学会会場でのこと。

 こう準備がいいと、ついつい荷物が多くなってしまう。カバンの中には何かの備えがいっぱい詰め込まれていた。車いすの後ろに吊ったりできたのが救いだった。

 台風の影響による風雨の中、飛行機で行った松江。

 夕方早くに暗くなる町だった。

 わたしどもに和菓子のおいしさを教えてくれた町でもある。

テレビメガネ ⁄ 2025年9月19日 金曜日

  秋のお彼岸のころ(9月下旬)に

毎年のように律儀に咲いてくれる花です。

いつも感心してしまいます。

芽が出てきて花が散るまでが短くて、

あっと言う間に過ぎていくのも印象的です。



 “曼珠沙華(マンジュシャゲ)”

とも呼ぶのですね。



  いま思えば、その昔、山口百恵が歌っていた

 『曼珠沙華』

という歌が

この花と関係していることを知ってから、

関心をもつようになったような気がします。

ただ、

 “マンジューシャカ・・・♪”

と歌っているのをを聞いて、

 「なんでマンジュシャゲじゃないのかな」

と、ずっと釈然としない思いでもございました。



  曼珠(殊)沙華という語がサンスクリット語の

   “マンジューシャカ”

という言葉の音写であるということを知ったのは、

つい最近のことです。

インドの植物の一種の名前を表す言葉らしいです。

  『世界大百科事典』(平凡社)より



  山口百恵が

 “マンジューシャカ・・・♪”

と歌っていたのも、あながち理由が

なかったわけでもなさそうで、

なにやらすっきりしたのでございます。

  [写真:出勤途中に職場の裏にて(2014年9月24日)]

出勤途中に職場の裏にて(2014年9月24日)

 今年も彼岸花が咲いてきた。

 アキはかつて山口百恵さんの歌を聞いてこの花に関心をもったと書いている。

 アキは、テレビの若者向け歌番組を欠かさず観ていた。わたしはその影響で見るようになった。こういう楽しい習慣はうつりやすい。

 テレビはたいていベッドから見るので、画面をベッドの足下の少し上に設置していた。

 歌番組などを観るのはいつも寝支度の時間だったから、ベッドに横になって見るのだが、これがちょっと見づらくい。

 そこで寝た状態でテレビを見るための道具、の登場である。商品名は「読書スコープ」。

 ゴロ寝めがね、寝たままメガネ、と名乗る似たものもあるようだ。

 「三角プリズムの反射を利用したメガネ型のスコープ(屈折式)」と説明書きにはある。鏡が中に入っていて、それを掛けると足下側のものが見えるアイデア商品だ。

 いつどこで見つけたかは忘れてしまったが、アキは長いこと愛用していた。

 少々重いのが難点(80グラム)。また、テレビ側から見ると、メガネを掛けている本人の目が映っているのがカエルのようで、笑いを誘ってくれる。
「テレビがよく見えるんだから、いいんだよ。」
と、笑顔で我が道を行くアキであった。

気になるひとこと ⁄ 2025年8月15日 金曜日

  今朝の「天声人語」は、

とても示唆に富むものでございました。

 以前、アキが新聞のテレビ欄と番組紹介欄だけは熟読していたと書いた。あと、紙の新聞では、一面と、科学欄なども読んでいたことを付け加えておきたい。いちおう本人の名誉のためにも。

 規則正しい毎日の中で、新聞を読むのは朝ご飯の前、ベッドで上半身を起こして、と決まっていた。朝日新聞の一面コラムの「天声人語」は毎朝読める状態にしていた。

 さて、この8年前のコラムに、いったい何が書いてあったんだろう、と、興味津々で、先日新聞社から記事を取り寄せてみる。

 そしたら、共謀罪法についてだった。

 2008年の映画「母べえ」の中で「父べえ」が「思想犯」として逮捕された、ということから書き始められていた。

 1925年4月にできた治安維持法は、当初は共産主義を抑え込むための法律だったのが、取り締まり対象が広がったことを振り返る。

 それから90年余りあとのこの年に、犯罪を計画段階で罰する「共謀罪」を盛り込む法律の改正案が国会審議されている。

 一般の方々がその対象となることははあり得ないように検討している、と、かつての国会と似た答弁が聞かれ、この前日に法案が閣議決定された。

 コラムは「社会はじわじわと息苦しさを増していく。」と結んでいる。

 なるほど、示唆に富んでいる。治安維持法は戦争をやりやすくするのにちょうどいい道具立てのひとつで、共謀罪法は同様の性質のものだから。

 「準公務員だから政治活動はできないんだよね。」とぼやいていたアキなりに、このひとことを残したのだろう。

 世界ではまだだけれど、日本で自国の戦争が終わったとされている日から今日で80年。これからも戦後にしておくために、わたしも自分なりにできることを探していきたいものだ。

暑さとのたたかい ⁄ 2025年7月11日 金曜日

  寒いのも苦手ですが暑いのは

もっと苦手でございます。



  ところが昨日の気温はどうでしょう。

埼玉県鳩山町で35・2度の

「猛暑日」を今年初めて観測したり、

東京都内は、練馬区で34・2度の

「真夏日」を記録するなど、ひどいものです。

まだ梅雨なのですよ。

梅雨の時期は湿度に体を慣らしていく

時期なのです。



  梅雨明け後の暑さが心配なので

ございます。

 2013年の夏もけっこう暑かった。アキの夏バテが特にひどかったこの夏のことを、わたしの日記をもとに振り返ってみたい。

 7月半ばから、アキは不調そうだった。汗をかけないので、暑さと付き合いづらいのだ。

 夜暑くて眠れなかったり、エアコンと扇風機で眠れたと思いきや、体が冷えてしまったりしていた。体が冷えると胃腸にも影響する。

 疲れたアキは、腹痛と頭痛を訴える。食欲もなくなる。

 8月8日から体調不良で仕事を休むことになる。大事な研究会の当日からの欠勤で、悔しそうだった。介助のパートの皆さんにもお休みしてもらうことになってしまう。

 その翌日に38度を超える発熱となり、かかりつけの病院にリフトタクシーを頼んで行く。

 「ずんぶん着込んでるねえ。熱がこもってるんじゃないの?」
高齢のお医者さんが目を見開く。
「冷房で冷えちゃうもんで」
と答えるアキは、長袖の薄手のセーターにジャンパーを着ていた。

 看護師さんには経口補水液を飲むように強く言われた。アキはこの味が苦手だったが、そうも言ってられないようだ。

 尿路感染もあったので処方された抗生剤と胃薬を飲むが、熱はなかなか下がらず、食欲も出ないまま、栄養不足となる。薬が合わなくて、変えてもらったりもした。

 横になっている時間が多くなり、座位もほとんどできなくなる。くろたま兄弟の方々にもお手紙などで励ましていただくが、停滞は続く。

 8月22日、久しぶりに職場に電話するが、相手の話が聞き取れず、四苦八苦してしまう。

 耳が聞こえにくくなって、声も出しづらくなって、わたしとの間でも返事や会話がしにくくなる。急に老け込んでしまったように感じられた。

 突発性難聴ではないかと、耳鼻科に行く。ところが、その医院では車いすのままでは正確な検査ができなかったので、大きめな病院への紹介状を書いてもらう。

 その一方で、アキの言うことのつじつまが合わず、もしかして脳の問題?と思ってしまう。それを伝えると、アキもそう感じていると言う。

 そこで、大きめな病院の耳鼻科と神経内科へ。耳の聞こえは年相応とのことだった。

 その二日後の予約日に暑い中出かけていって、MRI検査を受ける。アキは「殺人マシーンだ」と言っていた。音がひどいらしい。結果は何も異常なし。拍子抜けだったが、ホッとする。

 その翌日は猛暑がぶり返し、検査疲れで、アキはベッドでぐったりしていた。

 9月に入ってもひどく暑く、アキの熱は下がらず。りんごジュースが飲みたいと言うので、買ってくる。こういう要望は嬉しいものだ。

 熱が39℃にまで上がってきたので、かかりつけの病院に3日続けて通って、点滴をしてもらう。これが功を奏して、体温が下がってくる。

 診察を待つ間にわたしが近くの手作りパン屋さんでパンを買ってきて、昼食にする。柔らかいソフトフランスパンに練乳クリームを挟んだパンを、アキが気に入ってくれた。このパンはうちの人気者になる。

 それからだんだん食事量が増えていき、どうにか回復していった。薬の副作用でまぶたが腫れたり、お腹の皮膚がはがれたり、なんてことは些細なことだった。こちらはステロイド入りの点滴で治まった。

 9月半ばには病院通いを卒業し、車いすに乗ってパソコンでメールを見たアキは、「(仕事関係の)組織の人たちはありがたいね」と感極まっていた。

 こうして、右往左往の夏が去っていった。

「物理の日」の制定に思う ⁄ 2025年6月13日 金曜日

  今日は11月3日、

文化の日なのでございます。

  113番元素ニホニウムの日、

とするのも良いような気もするので

ございます。

 朝日新聞の夕刊(6月3日)の見出しに「11月3日は物理の日」と出ていて、驚いた。これを知って、アキも興奮しているに違いない。「ニホニウムの日」ではないけれど。

 この日にちは日本物理学会の中で投票をして、今年の3月に決定したそうだ。湯川秀樹氏のノーベル賞受賞が決まった日であり、日本で発見された元素ニホニウムの元素番号113番にも因んでいる。 詳しいことは学会のサイトでどうぞ。

 実は、わたしは高校時代、最も興味のもてない科目が物理だった。

 その高校には物理の教員が二人いて、一人は授業中に実験を見せてくれる中堅どころ、もう一人は新卒で若いのに、授業は教科書を棒読みするだけだった。

 中堅教員の方のクラスになった文系女子の友人は、物理って楽しい、と明るく語っていた。一方、わたしは新米の方に当たってしまった。授業はおそろしく単調で、物理のイメージがすっかり無味乾燥なものになる。

 そんなことは言い訳で、自分で本を読むなどして学ぶという手もあったかもしれない。しかし、もともと理科とは親しくなかったので、当時その距離は埋まらなかった。

 そんなわたしが、その後、物理学の近くで過ごすことになるなんて、人生はわからないものだ。少し先だけれど、物理の日が広く親しまれるものになりますように。

俳優座劇場と言えば・・・ ⁄ 2025年4月11日 金曜日

 六本木の俳優座劇場が今月で閉館すると知って、この劇場に一度だけ行った時のことを思い出した。

 2012年の初夏、「東京原子核クラブ」を観に行ったのだ。 

 この劇場は少々古い造りで、ロビーから客席に行くのに階段を通らなければならない。素敵なデザインの階段を昇って、客席階へ行く。重いタイプの電動車いすに乗るアキは数人がかりで担いで上げていただいた。

 持ち上げる方々はもちろん大変なのだけれど、アキによれば
「担がれるのも緊張するもんだよ」
とのこと。

 このお芝居は、俳優座劇場のプロデュースで、理化学研究所に勤務していた頃の朝永振一郎氏とその周囲の人々をモデルにしていた。下宿屋の個性豊かな住人等が喜劇を繰り広げ、戦時中も含む1932年から46年までが描かれる。

 当時東京の本郷にあった理研の西田(実際には仁科)研究室では原子爆弾を作る研究をしていたが、研究費と原料が乏しくて、実現できない。それでも研究を続けているというくだり、理研の同僚が語る。

 いくら理論が出来てたって、原料も工業力もない今の日本では原子爆弾製造が無理なことくらい、先生だって百も承知さ。‥‥‥ただな、この研究を続けている限りは、俺たち兵隊に取られなくて済むんだよ。(マキノノゾミ著『東京原子核クラブ』ハヤカワ演劇文庫より)

 アキが買ってあった戯曲を読んだら、重い内容が含まれていて、胸にずしんと響いた。かなり忘れていたのだ。

 あの日、六本木の街では、元アイドル歌手の男性が半ズボン姿で息子らしき少年を連れて歩いているのを見つけ出して、アキが嬉しそうに教えてくれた、なんて、どうでもいいことはよく憶えている。

松島のカイ事件 ⁄ 2025年3月14日 金曜日

 「おいしいですヨー!」
ホテルに予約の電話をしたら、係の中年女性に強く勧められた。ちょっと贅沢かなと迷っていたわたしは、そのひと言に背中を押されて、夕食を付けてもらう。単純な人間だ。

 仙台の東北大学での物理学会に参加したついでに、松島に足を伸ばしてみた。1993年3月末の学会であり、まだ寒い時期に、我ながら元気だったと思う。東日本大震災よりだいぶ前の話だ。

 学会参加した後で、観光遊覧船で松島へ。船への細くてデコボコした通路をそろりそろり、アキは手動車いす(その頃は手動だった)で渡った。いかにも海の男という感じの日焼けした体格の良い方に身を任せつつ、アキは少し怯えていた。

 船では、なんとかの一つ覚えで、
「松島やああ松島や松島や」
と二人で唱えながら、小島の浮かぶ眺めを味わう。

 「期待が高まるね。」 と臨んだ夕食。観光ホテルらしく、レストランのテーブルには海の幸たっぷりのご馳走が並んでいた。

 陶板焼きがグツグツ煮えてくる。その中に何かの貝、二枚貝があった。
「ボクの貝は開かないね、まいったな。スイマセーン!」
と助けを呼ぶと、
「少々お待ちください。」
と係の方が奥に持っていかれた。

 しばらくして、開いた貝が戻ってくる。聞くと、こじ開けてくださったそうだ。不安な面持ちのアキだったが、しっかり食べていた。

 ホテルの夕食はご案内どおりに美味しかったし、お腹を下すこともなかった。でも、その後、この時のことを思い出しては、あの貝は大丈夫だったのかねえ、と長いこと言い続けていたアキであった。

新幹線あれこれ ⁄ 2025年2月13日 木曜日

1月25日に、五日間の京都旅行から帰ってきました。
京都大学で行われた物理の研究会に参加するのが目的で、
出張のようなものです。

 これはずいぶん前の文章なので、その後いろいろなことが変わっている。このころは個室でないと、喫煙席になってしまった車いす用のスペースだったが、今や新幹線の中は全面禁煙だ。

 また、長らくJRの車いす使用者とその介助者の座席の予約は、窓口に行くか、電話するしかなかった。それが昨年あたりからウェブサイトからの予約もできるようになる。これは、世の中の動きと比べるとだいぶ遅かった。アキは使えなくて、「コンチクショウ!」と悔しがっていることだろう。

 真冬の遠出といえば、2000年には年明け早々の1月9日に、秋田新幹線で研究会に出かけている。アキは風邪気味だったし、発熱もしていたが、発表をしていた。研究会は秋田県東成瀬村のジュネス栗駒というスキー場で行われ、4泊した。その2年前には物理学会で秋田に行ったが、それは10月である。

 雪景色にはワクワクしたけれど、アキとわたしはスキーをしないのに、お昼ご飯を半分外のような所で「ウー、寒いネー」と震えながら食べることになったのは、何かの修行のようだった。

夢見る中学生 ⁄ 2025年1月16日 木曜日

  「大人になったらなりたいもの」(男の子)の

2位は、

 “学者・博士”

でございました。

今年の成人の日に合わせて発表された、

2016年調査の

全国の園児・児童へのアンケート結果(第一生命)です。

“研究者”もこの仲間と見做すこととさせて頂きますと、

自分の就いている職業が順位の上位に

現れたことになります。

有り難いなと思うと共に

身が引き締まる思いでございます。



  調査時期が 2016 年7〜9月 でしたので、

2015 年のノーベル物理学賞が

梶田隆章特別栄誉教授(東京大学)に、

ノーベル医学生理学賞生理学・医学賞が

大村智特別栄誉教授(北里大学)

に授与された影響もあるのかもしれません。



  一方で、過去30年弱分の順位を見てみますと、

ノーベル賞受賞者が出た翌年の順位が

必ずしも高くなるわけではなさそうです。

参考までに、“学者・博士”の順位を

年ごとに並べてみました(下にあります)。



  これはまあ、世間の評価に一喜一憂せずに

地道に研究に邁進せよ、という

園児・児童の皆様からの激励と

受け取らせていただきました。



  それよりも驚きましたのは、

“学者・博士”が調査の全期間を通じて高順位なこと。

ますます身が引き締まってしまうのでございます。



  研究者の皆さん、共に地道に頑張りましょう!



「大人になったらなりたいもの」アンケート より

(第一生命保険株式会社)



男の子の“学者・博士”の順位(年は調査年)

   3位以上の年に「*」



調査以前   1987年 利根川進(医学生理学賞)

1989年 6位

1990年 9位

1991年 圏外

1992年 圏外

1993年 2位*

1994年 6位 大江健三郎(文学賞)

1995年 4位以下(サンプル数が少ないので3位までの発表)

1996年 6位

1997年 9位

1998年 2位*

1999年 7位

2000年 3位* 白川英樹(化学賞)

2001年 8位   野依良治(化学賞)

2002年 1位* 小柴昌俊(物理学賞)田中耕一(化学賞)

2003年 7位

2004年 3位*

2005年 3位*

2006年 3位*

2007年 2位*

2008年 3位* 南部陽一郎・小林誠・益川敏英(物理学賞)下村脩 (化学賞)

2009年 4位

2010年 3位* 鈴木章(化学賞)根岸英一(化学賞)

2011年 3位*

2012年 2位* 山中伸弥(生理学・医学賞)

2013年 3位*

2014年 4位  赤崎勇・天野浩・中村修二(物理学賞)

2015年 8位  梶田隆章(物理学賞)大村智(生理学・医学賞)

2016年 2位* 大隅良典(生理学・医学賞)

 アキのブログでは、この翌年の1月7日付けで「学者・博士」が15年ぶりに1位になったと喜んでいる。

 「理論物理学の研究は、紙と鉛筆があればできるんだよ」 と、知り合ったころの大学生時代、アキはわたしに誇らしげに話していた。実際にはコンピューターが必要なのだろうけど。コンピューターいじりも好きだったし、わたしには、研究はアキの天職に近いように見えた。

 中学時代のアキは、アマチュア無線をたしなんでいた。図画は苦手だったらしいが、工作は得意で、
「エンジニアになりたかったんだよね」 
と語っていた。

 中学生活の終わりに体の障害をもったアキは、高校時代にアインシュタイン先生の相対性理論に引きつけられ、『アインシュタインの世界』(講談社ブルーバックス)などの本を読んだ。そうして、研究者になりたい気持ちが育っていった。公務員になることを勧める親の圧力もあったのだけれど。

 遺された日記には、十代のころの丹念な記録が残っている。そこには、わたしのよく知らなかった別の姿が見られて、驚かされた。

 日記の中のアキは、ギターを毎日熱心に練習して、友達とバンドを組む計画をしていた。作曲をお勉強したノートも残っていた。音楽グループ「アリス」への入れ込みようも、思っていた以上だった。中学生のアキはアンケートに「シンガーソングライター」と答えていたかもしれない。